「ソニー・オープン」と丸山

ニッポン中が寒波に震えた先々週末、ここホノルルではソニー・オープンゴルフ・トーナメントが開かれた。年中東からの貿易風が吹くハワイでは珍しく、4日間を通して西からの烈風にあおられるという最悪のコンディションだった。

2日目にトップに躍り出た丸山は最終日、伸びぬスコアに苦しんでいる間に、8アンダー62のコースレコードを記録したエルスに抜かれ、6,7人をごぼう抜きしてトップに躍り出た世界ランク1位のシンに、優勝をさらわれた。惜しくも3位に終わったが、負けても爽やかなマルちゃんスマイルに、大観衆から激励の拍手が贈られた。

試合後のインタビューで「世界のトップクラスを相手に、ここまでやれたのだからよかったと思う」といった丸山選手のコメントが少し気がかりだった。言葉の裏には、初めからトップクラスと自分との間に距離を置いた意識がある。ニッポンでは謙虚な気持ちと歓迎されるが、アメリカでは勝つ気迫を欠いていると思われる。「今日のプレーは悪くなかったが、幸運の女神がシンに向いていた」といえば、「シゲキは勝つ気でいたのだな」と納得してもらえる。それぞれの文化が違う国際舞台では、些細なことが大事なのだ。

“シゲキスマイル”の丸山選手は、アメリカでも人気者だ。彼ほどのスターになれば、テレビに写る表情、仕草、服装、マナーに世界が注目する。だから一挙一動に特別の配慮がいる。専属のスタイリストを雇うべし。インタビューには、専属スクリプターの助言を仰ぐべし。これは恥でも何でもない。あのタイガーウッズは、こうした専属スタッフを25人も抱えているそうですぞ。

マルちゃんの専属スタイリストになる御仁には、フェアウェイでのくわえタバコや、ミスショットをしたあとに大きな下をペロリと出す癖を矯正してもらうよう、願っている。

(出典: デイリースポーツ)

傷をなめ合う「和」の社会

スマトラ沖大地震によってインド洋沿岸各地を襲った大津波は、15万を超える人命を奪った。小児外科医が国境を越えて知見の交換をするサイトにも、被災者に贈る追悼や激励の言葉が寄せられている。

メッセージの多くは「1日も早く悲劇を忘れ、日常の暮らしに戻ることを祈る」と結ばれている。アイオワ大学で外科教授をしていた間、亡くなった患者の遺族にも、同じ励ましの言葉を贈ってきた。感謝はされてもそしられたことはない。メッセージを読んで違和感はない。

ところが日本から訪問中の友人は「忘れて日常に戻れとは、なんたる冷血動物。打ちのめされた被災者には『さぞや辛かろう、切なかろう。この悲しみを永く心に留め置いて、お忘れなさるな』と慰めるのが常識というものだ。」という。ついでに、「お前は、外国暮らしが長すぎて、日本の『和』の心を失っている。取り戻せ」と叱ってくれた。

温情あふれる日本の心と、非情に思える西欧の激励のメッセージ。この違いのウラにあるわけをさぐると、思い当たる節があった。

キリスト教では死者の魂は天に召される。この世の災厄は神の賜った試練と受け止め、自助自力で這い上がれ。天は自ら助けるものを救うと教える。イスラム世界では、生も死もアラーの思し召し。身内の死を悼むあまり、神を呪ってはいけない。災厄から生きながらえたものは、残りの人生を一生懸命生きることが神との契約なのだ。

一方、「和」が支配する日本では、災害に際しては同情、いたわり、慰め、癒しの言葉にまさるものはない。自力で這い上がれなどと鞭打つのはご法度。互いに傷をなめ合い慰めあう「和」の社会は温かくて心地いい。だが、「日常に戻れ」と励ますほうが自然に思えるのは、友人が叱ってくれたように、アメリカの水を大量に飲みすぎたせいなのだろうか。

(出典: デイリースポーツ)

アメリカの大学教育

大学に入るためには入学試験合格がニッポンの常識である。だが、それは世界の常識ではない。アメリカの大学には入学試験はないのだ。高校3年間の成績証明書、SATと呼ぶ学力テストのスコア、受け持ち教師の推薦状を願書に添えて、全米に2千校もある4年制大学の幾つかに送っておけば、どこかから入学許可の通知がくる。

新入生の定員はあって無きが如し。前年と比べ、千人も増減する。入学式はない。とりあえず一学期の授業料を納めて授業に出席する。最初の2年間はリベラルアートと呼ぶ教育課程。理系文系の区別はなく、受講科目はすべて自由選択。選択の仕方によって、2年後に控え志望学部進学が決まるから、人生初の重要な決断である。

授業に出席すると、1クラスに学生は20人ほど。教師と常に目線を合わせての授業は質疑応答が主体で、口頭試問の連続のようだ。授業の終わりには、山ほど宿題が出る。翌日の授業は宿題をテーマに進む。毎晩勉強しないと付いて行けない。「ボクの描いた大学生活とは大違い」という者は、脱落していく。勉強地獄のような2年間を耐え抜いた者だけが、志望学部に進学できる。

学部の選択権は成績順だから、競争は過酷である。学部では、抜きつ抜かれつの競争はない。すべての教程を終了した時点で卒業。クラス全員が同時に卒業するとは限らないから、卒業式は年に3度も行われる。角帽にガウンをまとい、学長から卒業証書を手渡されると、4年間の辛苦がこみあげてきて、感涙にむせぶ。青春の一駒だ。

志望者全員に大学生活を体験するチャンスを与える。脱落するのは本人次第だから納得がいく。脱落した者も、再び勉強する気になれば、いつでも復学は許される。

入学前の学習評価よりも、大学4年間の学習成果を重視するのが、アメリカの大学教育なのだ。

(出典: デイリースポーツ)

負けてたまるか、1.5倍

野茂選手によって突破口が開かれた日本選手のメジャーリーグ挑戦は、いまでは日常的になった。所属する球団の高額オファーと比べると、小遣いほどの年棒に1年間の時限契約。結果を出せなければ即使い捨てのルーキー扱いだ。それなのになぜ、若者たちは海を渡る?「自分の力を世界で試してみたいからです」という定番の答えにも一理ある。日本でエースだスターだとちやほやされても、しょせん身内の華。外国は怖いぞと脅かされると「それならなお行ってみたい」と逆らう気持ちが、すなわち青春スピリットだ。

長年勤務した兵庫県立こども病院を退職し、49歳の小児外科医のルーキーとして、アメリカの大学教授のポジションに挑戦したのは17年前のことである。野球と同様、当面は1年契約。年ごとの更新はできるが、6年以内に永久契約が取れなければそれまで、という条件だった。

外科医は手術成績、医学生教育、それに研究実績によって評価される。手術のウデはかかった時間、合併症、それに患者の満足度で判断。研究事業は世界各国の同業専門家に問い合わせて評価を受ける。「負けてなるものか。1.5倍でいくぜ」と心に決め、精進の2年のち永久契約を勝ち取り、外科教授に昇進した。

1.5倍というのは、手術数、講義の準備時間、研究論文の数など、すべての面で競争相手の5割増しでいくという意味だ。50歳の峠を前に1.5倍はキツかったが、終わったあとの爽やかさも1.5倍だった。アメリカでは野球選手も外科医も、1.5倍でいかなければなかなか勝つことはできない。

(出典: デイリースポーツ)