傷をなめ合う「和」の社会

スマトラ沖大地震によってインド洋沿岸各地を襲った大津波は、15万を超える人命を奪った。小児外科医が国境を越えて知見の交換をするサイトにも、被災者に贈る追悼や激励の言葉が寄せられている。

メッセージの多くは「1日も早く悲劇を忘れ、日常の暮らしに戻ることを祈る」と結ばれている。アイオワ大学で外科教授をしていた間、亡くなった患者の遺族にも、同じ励ましの言葉を贈ってきた。感謝はされてもそしられたことはない。メッセージを読んで違和感はない。

ところが日本から訪問中の友人は「忘れて日常に戻れとは、なんたる冷血動物。打ちのめされた被災者には『さぞや辛かろう、切なかろう。この悲しみを永く心に留め置いて、お忘れなさるな』と慰めるのが常識というものだ。」という。ついでに、「お前は、外国暮らしが長すぎて、日本の『和』の心を失っている。取り戻せ」と叱ってくれた。

温情あふれる日本の心と、非情に思える西欧の激励のメッセージ。この違いのウラにあるわけをさぐると、思い当たる節があった。

キリスト教では死者の魂は天に召される。この世の災厄は神の賜った試練と受け止め、自助自力で這い上がれ。天は自ら助けるものを救うと教える。イスラム世界では、生も死もアラーの思し召し。身内の死を悼むあまり、神を呪ってはいけない。災厄から生きながらえたものは、残りの人生を一生懸命生きることが神との契約なのだ。

一方、「和」が支配する日本では、災害に際しては同情、いたわり、慰め、癒しの言葉にまさるものはない。自力で這い上がれなどと鞭打つのはご法度。互いに傷をなめ合い慰めあう「和」の社会は温かくて心地いい。だが、「日常に戻れ」と励ますほうが自然に思えるのは、友人が叱ってくれたように、アメリカの水を大量に飲みすぎたせいなのだろうか。

(出典: デイリースポーツ)

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