地球温暖化に思う

大阪で定宿にしているホテルの部屋からコウベの方角を眺めると、コンクリートとガラスでできた大小無数の建物が、六甲山麓まで続いている。まるで平地を多いつくす絨毯のようだ。景色を眺めている間に、ふと幻想の世界に引き込まれた。

コンクリートはセメントと砂の混合物だ。セメントは石灰石や石こうを高温加熱して作られる。ガラスは石英、珪砂、炭酸ソーダの混合物を加熱融解させてできる。ビルの骨格を成す鉄骨や鉄筋は、鉄鉱石を高熱融解して取り出した銑鉄を形成加工したものだ。

大阪の淀川にかかる鉄橋、それを渡る電車、阪神高速道路、その上を走るクルマは、みんな灼熱の炉の中を通過してきたものばかり。はるか彼方の海峡にかかる明石大橋、大阪湾に浮かぶタンカーや貨物船、その上空を旋回する旅客機、元を正せば溶けた金属だ。

すべてに要したエネルギーを加え合わすと、一体どれほどの量になるのか、創造もつかぬ。

目を閉じると、視野に入る何百万という建物のすべてが巨大な溶鉱炉のなかでどろどろに溶ける情景がまぶたに浮かぶ。淀川や大阪湾の水が煮えたぎり、瞬く間に蒸発するのが見える。

これほどの大量の熱は、どこに消えたのだろう。宇宙の彼方へでも放散したのか?燃料に使われた石油、石炭、天然ガスから出た膨大な量の炭酸ガスの行方は?

いま、私の住んでいるアメリカは、恥ずかしながら他国の何倍もの石油を消費している。夏は冷房、冬は暖房、そしてクルマは一人に一台。いま、みんなが存分にエンジョイしている石油文明の利便は、いわば麻薬のようなものだ。一旦味を占めると止められない。この利便に制限を加えるリーダーは、国中からそしられ放逐される運命をたどる。だから、炭酸ガス規制をうたった京都議定書に署名できないのだ。これが民主主義の弱点である。

(出典: デイリースポーツ)

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