ガンかも知れないと悩む人へ

「念のため、胃と大腸のファイバースコープによる検査をしましょう」というドクターFの意見にしぶしぶ同意した。ドクターFはファイバースコープ検査をニッポンからハワイに導入した先駆者で、いままでに1万3千例を手がけたとおっしゃる。「ボクももうすぐ引退するから、早くしないと間に合いませんよ」の一言に覚悟をきめた。

点滴に麻酔剤が注入されるまでは覚えているが、あとは回復室で覚めるまで、記憶にない。外科医の40 年間に、日米あわせて1万足らずの人を手術したが、自分がされる側に回ったのは、今度がはじめてだ。

「結果は1週間先にドクターFのオフィスで」というナースの指示に従い、我が家に戻ったあとの7日間は、疑心暗鬼で過ごした。

「1週間もかかるのは、ガンをどう告げてやるかと思案しているからだろう」と勘ぐる。次の瞬間「いや、外科医がそんなまどろっこしいことをする筈がない」と否定する。

複雑な思いが交錯する間に、「もし末期ガンと宣告をうけたら、自分をいかに処すればいいのか」と考えてみる。思い返すと、医療に関わる人間は、専ら病気治療の開発試験実施にかまけ、逝く人のケアは我知らずというスタンスをとってきた。これは、筆者をふくめ医療や医学に関わった人間のエラーである。

気をとりなおし、書架から「末期ガンは手をつくしてはいけない」(金重哲三、中経出版2004年)を抜き出し再読してみる。この本は、永年ホスピス医として無数の逝く人を送ってきた著者が、豊富な経験をもとに、末期ガンを宣告された場合の対処を、自身の思いとして淡々と述べているところがよい。一読を強く薦める。

苦悩の1週間がすぎて、ドクターFのオフィスに赴くと、「あんた、当分、死なないね」と宣告をうけてがっかり。仮説末期ガンに、想うことの多い1週間だった。

(出典: デイリースポーツ)

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