患者の丸椅子

先日、久しぶりに友人の外科医を訪ねたら、診療中の外来に案内された。20年前と違って、今の病院の壁や天井には、明るいパステルカラーが使われている。ロビーで順番を待つ患者の椅子も、以前のベンチからソファになった。院内のあちこちには、幾つか絵も掛けられ、花瓶には造花ながら花も生けてある。役所カラーの公立病院とは思えない変り様に、「やれば出来るじゃないの」と内心拍手を送りながら、診察室の扉を開けた。

鉛色をした診察机の上には、これまた灰色のコンピュータが載っていて、スクリーンの電光文字が発する緑色の光が、冷たくデスクの表面を照らしている。ひと昔まえには、医者の診察机の上は、医学雑誌やダイレクトメールが山と積まれ、ペン立てや舌圧子や懐中電灯などが占領した残りわずかなスペースでカルテを書くのが常だった。当時と比べると、コンピュータ以外の余分なものをすべて取り払った机はどこか寒々しい。

ドクター用の高い背もたれに肘掛のついた大ぶりの回転椅子の前に、小さくて背の低い患者用の丸椅子が配置されているのを見て、強く違和感を覚えた。

アメリカの病院では、外来診察室の椅子の配置はニッポンと丸反対。患者用が肘掛つきの豪華な椅子で、ドクター用は背もたれのない丸椅子だ。ドクターは頻繁に立ち座りするからだというが、本当の理由は患者に対する敬意の表現だ。

昔ニッポンで医者をしていたとき、「センセの前でこの丸い椅子に座ると、何をされても仕様がないと諦めるのです」と言った人がいた。丸椅子が背もたれ椅子に向かって、「尊敬も信頼もしていないよ」と叫んでいるように聴こえた。

最近、医療界では患者を「患者様」と呼ぶのが流行だ。気色の悪い呼び方をすれば、信頼されると思うのは思慮浅薄。まず、椅子の取り替えが先決だ。

(出典: デイリースポーツ)

迷える子羊

アイオワ大学病院の外科研修医の定員5席を目指して、毎年50倍もの医学部卒業生が全米から応募する。応募者は、在学中の学業成績や医師国家試験の獲得スコアによって50人ほどに絞り、面接試験のスケジュールをたてる。面接試験は、教授、準教授、講師などスタッフに加え、研修中の研修医や入院中の患者有志など多分野の人が担当する。各応募者は1日のうちに10名をこえる担当者と1対1、15分ほどの持ち時間で面接するため、部屋から部屋へと駆け足で移動する。面接担当者は共通の評価項目に準じて、応募者の人柄を評価し採点する。

ある年、日本からA君という医学生が応募してきた。A君は学業成績もよく、米国の医師国家試験もパスしており、わたしは密かに期待していた。ところが、面接試験のあと、A君の席次は最下位近くまで下がってしまった。そのわけを同僚教授に尋ねてみると、「A君は、自身の将来展望、社会貢献への意識という項目での失点が多い。外科医に『なりたい』というばかりで、外科医になったら、何を『する』という意思表示が不明確で弱い」という答えだった。

A君の失点に象徴される将来設計、目標の立て方には、日米大学生の間に大きな違いがある。アメリカの若者は、まず自身の医師としての将来像を定めた後、目標達成の手段として医学部に入学する。一方、日本の若者は、医学部入学を人生の最終目標として、入試に死力を尽くす。「卒業後は何科をするのかと問うても、判らないと答える医学生たちは、まるで迷える子羊です」と友人の医学部教授が嘆く。「医学部に入りさえすればいい子ちゃんだよ、と親に甘やかされた若者を、あなた方が入試の点数だけで選んだ因果です。日本の大学入試にも面接試験を加えて、将来設計を持たない者は入学拒否したら如何?」と提案した。ちなみに、アメリカの大学には入試というものは存在しない。

(出典: デイリースポーツ)

患者は「普通の人」

一月前、東京の病院で医師が女性患者を裸にして写真をとり、ひそかにコレクションしていた事件があった。学術資料として写真をとらせてくれと頼まれた女性は、ナースの立会いもなく全裸にされ、不審におもったが、相手が医師だから従ったという。この事件によって、日米医療現場の違いを考えさせられた。

10年以上前、アメリカで「患者の権利」が論じられた際、「病人は患者という特殊な人種なのか」という問題が論議され、患者は病気にかかった「普通の人」である、という結論に達した。以来、全米の病院を認定する病院監査機構は、通院入院を問わず、患者を患者としてではなく、「普通の人」として対応するよう全病院に指示をだした。

あなたやわたしのような「普通の人」は、24時間家族と一緒に過ごし、好きなときに好みの音楽を聴き、テレビを見、友だちと電話で話し、食事を摂る。これが「普通の人」の生活だ。病院監査機構の指示は、各自の生活パターンを入院後も継続させろというものだった。

指示によって、すぐ隣のベッドで赤の他人が寝起きするという大部屋スタイルの病室を撤廃し、一室の定員は二名までに基準を変えた。いま、殆どの「普通の人」たちは自宅の個室で暮らしているから、病室も個室が適当だという意見が強い。だから、アメリカでは全館個室の病院が増えている。

「普通の人」は、自分の身体を他人に触れて欲しくない。ましてや、裸の写真を撮られることなどもってのほかだ。でも、なかには、教育や医学の進歩に協力すると言う奇特な「普通の人」もある。協力者は医師との間に「身体を医学生に診せる」「写真を撮らせる」というインフォームドコンセント(説明承諾書)を交わす。口約束は一切無効というのがルールだ。東京の病院にこんなルールが備えてあれば、事件は防げたろう。

(出典: デイリースポーツ)

「春歌世代」

「春歌を唄ったことはあるかい」若い研修医たちに尋ねてみると、全員が「ノー」という。「春歌ってなんですか」と問い返すものもいる。

1960年代の学生コンパでは、「一つ出たホイのよさホイのホイ」の出だしではじまる代表的春歌が開会の挨拶だった。そのあとも手拍子にあわせた卑猥な唄が延々と続く。唄の合間に呷る安酒に、一人またひとりと酔いつぶれていく。最後の一人がダウンすると、それでお開きになった。

あの頃、若者は、何故に春歌を唄ったのだろうと想い返してみる。当時は、男と女が一度でも肉体関係を結ぶと、結婚にまで発展するという解釈が大方の了解だった。今と違って、親は子に対して絶対的な支配力を維持していた。息子が大学に入ると、「下宿屋の娘などシロウトの女性には、絶対に手を出してはならぬ。もししたら、二度と家の敷居をまたぐことはないと思え」と引導を渡して送り出した。親の戒めは恐ろしいが、身体の底から突き上げてくる性の衝動を抑え込むのは難しい。

親の戒めと内なる衝動。この間で葛藤する若者たちは苦悩した。衝動を封じ込めると、体内に渦巻くマグマの圧が上がる。圧が閾値に達すると、爆発の危険が迫る。とはいっても、都合よく欲望のはけ口になってくれる相手はいない。空しくも、ガス抜き代わりに春歌を唄う。「春歌世代」のコンパにはこんな時代背景があったのだ。

欲望に打ち勝つための自己制御は、強い克己心を育てる。耐え忍ぶ経験は、挫折からの復元力を養い、自信と気力を生みだす。いずれも、今の若者に欠けているものばかりだが、それにはワケがある。

いまは合コン全盛の時代。「今夜いいかい」と声かければ「いいわよ」で合意成立。その日のうちの「お持ち帰り」には、自己制御も、忍耐も、克己心も要らない。だから、若者たちに春歌は要らないのだ。

(出典: デイリースポーツ)