40年前のアスベスト

「アスベスト(石綿)を長期間吸引すると、アスベストーシスという肺繊維症や、肋膜に発生する悪性中皮腫の原因となる」

記憶をたどると、昭和30年代に医学部で使った病理学の教科書に明記されている一節である。卒業後に受けた米国医師国家試験にも、アスベストと中皮腫の関連を問う問題が出ていた。今から40年前、医学の世界では、アスベストと悪性中皮腫との間にある因果関係はすでに常識であった。

その後何年か経って、「大脱走」や「ブリット」で一世を風靡したハリウッドの映画俳優スティーブマックイーンが中皮腫になったと伝えられた。ロスの医師団から不治の宣告をうけると、メキシコに移って実験的治療を受けたが、効果空しく、若くしてこの世を去った。

20年前アメリカに移って、住む家を探したときのことだ。外科医という職業柄、病院から数分の範囲にある売り家を見て歩いた。案内してくれた不動産屋の女性は、「法律で決められているので伝えておきますが、この一帯は昔からの住宅地なので、どの家でも、暖冷房のダクトや給湯パイプの周りには、アスベストが使われています」「そのまま住んで、大丈夫なのかね」「アスベストは寝た子と同じ。そっとしておけば大丈夫です」「除去はできないの」「出来ますが数百万円の費用がかかります」という。

「最近新築の家にも、アスベストは使ってあるの?」「いいえ。数十年前の米国政府のアスベスト使用禁止令以後に建った家には、一切使ってありません」

日本では、わずか10年前の1995年に、初めて毒性の強い種類のアスベストの使用禁止令が出された。

40年前の医学部で「アスベストは中皮腫の原因となる」と習って30年後のことだった。医学界と行政の間に情報伝達障害があったのか、はたまた情報が途中で握り潰されたのか、いまとなっては不明である。

(出典: デイリースポーツ)

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