郷に入れば、郷に従え

或る日、ワイキキの外れにあるフランス料理のミシェルにテーブルを予約し、ハワイを離れる友人と別れのディナーを共にした。席について見回すと、テーブルの殆どは熟年の白人紳士淑女。殿方は、アロハシャツに長ズボン。奥方はロングドレスかムウムウというお召し物。ウェイター、ウエイトレスは全員がブラックタイのタキシード姿。

その中で、ひときわ浮いているのが、TシャツにGパン姿、二十歳を出たばかりのニッポン女性二人連れだった。場違いな感は免れない。そのうち、二人ともサラダプレートを左手で口まで持ち上げ、右手のフォークでかき込みはじめた。お嬢さん、それはまずいよ。みんな、びっくりして見ているよ。

他に教えてくれる人間がいないようだから、このコラムで教えて進ぜよう。

想像するに、ガイドブックか電話帳でミシェルの名前を見つけ、「ハワイ旅行の思い出作りのために、一度ぐらいは、超一流のレストランで晩御飯たべてみようよ」という会話があったのだろう。そして実行した。キミらの物怖じしないガッツは素晴らしい。賞賛する。だが、夜のディナーにTシャツにGパンは駄目だ。銀座や梅田のレストランの食事に、Tシャツで出かけはしないだろう。誰かが「ハワイはどこでも、TシャツとGパンでOK」といったかも知れぬが、それは昼間の話だ。

アメリカの大人の世界には、日中と夜とで服装ばかりか、交わす会話の話題まで分別する鬱陶しさがある。だが、これは習慣というもの。ほら、郷に入れば郷に従えというだろ。

次にハワイに来るときには、ドレスを一着持参し、予約の要るレストランに行くときに必ず身につけること。それと、今度、キミたちが店中の注目を浴びた、左手でお皿を口元まで持ち上げる悪い癖も治しておくことだ。そうすれば、ハワイをもっとエンジョイできること間違いなし。

(出典: デイリースポーツ)

法令遵守

「これは病院全体の意思決定による絶対命令ですから、服従しない人には退職してもらいます。命令の批判や論議も解雇の理由になると理解してください」

全スタッフ医師を対象に開催された緊急法令遵守説明会は、いつもの勉強会とは違う緊迫した雰囲気だった。絶対命令を要約すると、患者に実施した個々の診療行為と、実施者を明確にカルテに記録することである。それだけのことで、絶対命令だの批判者を解雇するだの、大げさが過ぎると思われようが、そのウラには切実で重大な事情があるのだ。

ことの起こりは、それより数ヶ月前、ミネソタ州の大学病院が、研修医の診療行為に対し診療報酬を不正受給していた事実に発する。裁判所は、大学病院に対し、10年前にさかのぼって、100億円もの追徴金を米政府に返済するよう命令を下した。

この厳しい処罰は、全米の大学病院に強い衝撃を与えた。アイオワ大学病院でも直ちに緊急会議が召集され、全スタッフ医師に対して冒頭にのべた絶対命令が下ったのだ。

この背景を少し解説すると、今、米国の病院には10万人の研修医が勤務している。研修医は医師免許を持つ医師であるから、医療行為はしても良い。だが、研修中の身分であるから、その診療行為に対して診療報酬を請求することは、連邦法で禁じられている。見習い中の医師に診てもらって、カネを払う道理はない。違反した病院は、詐欺の疑いで、連邦捜査局(FBI)の摘発を免れぬ。

「法令の批判も論議もならぬとは、自由と民主主義を掲げるアメリカの大学らしくありませんな」 法令に詳しいC教授にたずねてみた。

「命運が掛かる重大事に、関係する構成員を法令で拘束するのは当然のことです。決ったことに従うのは、団体構成員の責務です。文句があれば、団体を脱退してから言えばいいのです」

最近のニッポンの政界を眺めていると、このやり取りの記憶が甦ってくる。

(出典: デイリースポーツ)

J航空には絶対に乗らない理由

一月前、ハワイに戻るため関西空港に赴くと、今日のU航空ホノルル便は欠航だという。「代替便をJ航空にお願いしております」という申し出は即座に断った。見送りに来てくれたY氏に頼んで、梅田のホテルに連れ戻してもらった。

J航空の代替便を断ったのには、きわめて深刻なトラウマがあるからだ。1997年11月某日、仙台発大阪行きのJ航空B737に乗った。日本海にでて新潟の沖から本州を横断し、伊勢湾上空で右折して伊丹空港にむかうルートだった。天気は快晴、おだやかな飛行日和である。客席の半分を埋める乗客は、くつろいでフライトをエンジョイしていた。

雪を頂く日本アルプスが右手に見える地点に差し掛かった頃、乗客に飛行中のコックピットから槍岳や穂高岳を見せるという客室乗務員のアナウンスがあった。乗客は数人づつに分かれ、席を離れてコックピットにむかう。

その光景をみながら、もし乗客のなかにオカシナ人がいて、スロットルレバーの上に倒れ込んだら機の運命やいかにと想うと、背筋の凍る思いがした。この時の恐怖は、いまも心の片隅にトラウマとして留まっている。

機長はじめクルーは、乗客に大サービスをしたつもりだろうが、彼らの行為は旅客航空業界の定めた安全航行の法令に違反している。

航空会社の業務は、乗客を安全に目的地に到着させることが第一義である。機に不備があるなら遅れてもいい。欠航も厭わぬ。フライトの安全のためなら、勇気ある決断を歓迎する。その決断を支えるために、業界や各社は法令を整備しているのではないのか。

仙台発大阪便の観光飛行は、クルー自身がその法令に違反した。当日のコックピットの行動は、飛行日誌に記録されているのだろうか。興味のあるところだ。

以来、J航空の便には絶対に乗るまいと心に決めた。身の安全のためなら、大阪に1日ステイオーバーするぐらい、厭わしくはない。

(出典: デイリースポーツ)

280万平米の零細農家

本州の3分の2ほどの広さを持つアイオワ州で、一面にひろがる肥沃な農地をフルに活用すると、全米が1年に消費する食牛6千万頭を養う飼料のすべてを賄う余裕があるという。

秘書のリンダが家業は農業だというから、「畑はどれぐらいの大きさなの?」と尋ねてみると、「7百エーカーの零細農家ですよ」という返事だった。ちょっと待てよ。1エーカーは4千平米だ。7百エーカーというと、280万平米の大地主ではないか。百メートル四方が1万平米、その280倍と言い換えれば、見当がつくだろう。それで零細農家なら、ニッポンの農家はなんと表現する。

名物のコーンで育てたアイオワビーフは当地の自慢である。他州にもその名の高い名門ステーキハウスのラークでは、自家の牧場で育てた牛の肉だけを使ってステーキを焼く。セミナー受講生全員を、その高名なラークに案内した。

「20年前、西海岸のS市に留学中に市内の食堂で食べたステーキは、大きくて、硬くて、まずかった。食べ終えたら、哀しさと切なさに、郷愁の涙が湧いてきたほどだ。S君、悪いことは言わん。一番小さいのを二人で分けようや。それでも、食べきれるかどうかわからんよ」

Z氏の滞米経験談は、同行の若いS氏のステーキに弾んだ気持ちに、水を差す。先輩の経験談に押し切られたS氏は、小さなフィレ一片を二人で分けるのに、不本意ながら同意した。

ステーキがテーブルに並ぶのを待ちかねたかのように、一斉にナイフとフォークが動きはじめる。そこでZ氏、開口一番、
 「あ、これは違う。旨い」
 「センセ、こんなに旨いステーキを半分づつとは、殺生ですよ」

食い物の恨みは怖いよと詰め寄るS氏に、
「済まんのう。わしは間違うとった。アメリカにも、旨いもんはあるもんじゃのう」

アメリカの食堂とステーキハウスには、めし屋と料亭ほどの違いがあるのをお忘れめさるな。

(出典: デイリースポーツ)