沖縄のサカナも旨いサ

「沖縄暮らしに無聊をかこっているらしいから、慰めに訪れてやろう」と、9月から2月の間、尋ね来てくれた友人たちは、遠くはホノルル、近くは福岡から総勢8組にのぼる。ありがとう。持つべきは友。まさに、遠方より友来る、また楽しからずやだ。

先週のウイークエンドには、東京からのAさん夫妻と大阪からのHさん兄妹の初対面の二組に沖縄で合流してもらい、ともにゴルフ、グルメをエンジョイした。

ホノルルを発つ前には、沖縄の食べ物はゴーヤチャンプル、そうきそば、豚の耳や足、青や黄色の魚を想像していた。それで食が進まなければ、丁度、ダイエットになってよかろうと思っていた。あにはからんや、沖縄に来てみると、旨いものはごまんとあった。

東京と大阪混成軍を北谷のすし屋「次郎長」に案内した。初めての人は、カウンターに座り、目の前に立つ親方の顔をひと目みて仰天する。今回も「センセ、もしかして、この人俳優の黒沢年男さんではありませんの?」「そうですよ。これはお忍びだから口外無用」「ご冗談を!でも、あんまりよく似ていらっしゃるので、ご本人かとおもいました」という会話になった。毛糸で編んだ帽子をかぶり、クロ縁の眼鏡をかけた親方はまさしく黒澤年男さんだ。沖縄に来たら一度訪れてみるべし。仰天なさること請け合います。

から揚げにしたグルクンは骨ごとたべると旨い。煮付けにはミーバイかビタロー、バター焼きはミミジャー、刺身は戻り鰹やシャコガイだが、緑色をしたブダイをさっと湯通ししたのもいける。親方が甕で長年成熟させた古代泡盛のロックを重ねながら、ゴルフ談義にハナシは弾む。

銀座久兵衛の常連のAさんや、大阪ミナミの数あるすし屋で鍛えられたHさんの舌をしても、「次郎長」の味はかなり上位のランクだというから、地元沖縄住人になりきった世話人としては、鼻高々のひと宵であった。

(出典: デイリースポーツ)

支払いは電話1本

沖縄に住んで2ヶ月過ぎた。この間、ホノルルの我が家は空き家のままだ。電気代や電話代など月々の掛かりは前払いを済ませてきたが、クレジットカードの支払いは、利用金額の予測がつかないから、前払いというわけに行かぬ。毎月郵送されてくるカードの請求書は、ホノルルの局留めになっているから、手元にはない。支払いもせず、3ヶ月も放置すると、年利20パーセントの利息を払わねばならぬ。思案に暮れ、カードをためつ眇めつ眺めていたら、海外からのフリーダイヤル番号が目に入った。早速ダイヤルしてみる。

アメリカは真夜中であるにもかかわらず、女性の声で久しぶりの英語が受話器から聴こえてきた。

名前、カード番号のほかに、暗号に使われている“母親の結婚まえの姓”を告げると、本人と確認してくれた。「どんな御用でしょう?」という問いに、事情を説明し、請求金額と郵送のあて先を教えてくれたら小切手を航空便で送るというと、そんな回りくどいことはしなくていいという。

「お手元の小切手に書いてある銀行の9桁の認識番号と、お客様の口座番号をお知らせくだされば、請求金額を直ちにこの口座から引き落とさせていただきます。よろしいですか?」オーケイと返事すると、2秒とおかず「送金は完了しました。送金の確認番号はxxです」といって、9桁の番号をくれた。嬉しくなって礼をいうと、「来月のお支払いには、私どもに電話いただかなくても、プッシュフォンに数字を打ち込むだけで送金が可能です」といって仕方を説明してくれた。

日本の金融機関では、こうは簡単にいかない。店に出向いて順番待ちの番号札を手にし、しばし無為の時を過ごさねば送金ひとつできない。この違いは、IT機能の不備もさることながら、ユーザーを大事におもうサービス業の根本思想にある。ユーザーのニーズにあわせて、コンピューターをプログラムし直したら?

(出典: デイリースポーツ)

「なる」文化の国

新内閣の認証式に引き続く恒例の記念写真撮影の模様をテレビでみた。最前列の小泉首相の左隣に立つ女性新大臣は、鮮やかなブルーのドレスを身にまとい、まるで宝塚歌劇のステージに立つ大スターのように華やかだった。

翌日のテレビインタビューでは、「お肌がつやつやして、お若いですね」というインタビュアーのコメントに、「そんなことをおっしゃらないでください」と否定なさりながらも、くねくね動くボディランゲージには、歓喜、はにかみ、色気が混じりあい、童女と見間違うばかりの無邪気さが溢れていた。

アメリカでは、女性の身体状態について「肌がつやつや」などと批評することは、それが世辞ではあっても、立派なセクハラである。国際派の新大臣は当然それをご存知の筈だ。だから「ふざけないで!」の一言のもとに却下されるものと期待したのだが、嬉々とした反応を示されたのは意外だった。

話題がブルーのドレスに及ぶと、「ここまで登りつめた特別な日を記念して着用しました」という意味のコメントをのべられた。「一生一度の晴れ舞台なのだから、少しぐらい目立つドレスを着たっていいでしょう」と理解の催促が、言葉のウラに読み取れた。

日本は「なる」文化の支配する社会である。政財官界学界で上昇志向の強い人は、リーダーに「なる」ことにゴールを設定する。これは「なった」瞬間に、それまでの努力や忍耐のすべてが、完結する文化である。就任後に何をするかは厳しく問われない。「なる」ことにこそ価値のある地位であるから、任期中、国のために何をするかを明示しない新大臣でも、晴れ着に身を包んで感涙に咽んでいれば温かく優しく受け入れてもらえる。

新大臣が永年過ごされた米国の大学は、教授就任の条件に「大学人として何をするか」を厳しく問う。着衣の色やデザインとは、まったく異次元の問題である。

(出典: デイリースポーツ)

拝啓 上村くにこ様

「男たちよ!」のコラムで、あなた様にずばりと切られる男の一人ではありますが、毎回、ふむふむ、なるほど、そのとおりと共感しながら愛読しております。先週10月28日の“あのガムと唾はいかがなものか”と題した玉文は、ララ物資で育った年代の人間として、とくに興味深く読みました。

ロッテは、パリーグペナントレースの2位でありながら、プレーオフという理不尽な仕組みのお蔭で日本シリーズに進出し、あなた様の大事なトラ軍団に4たてを喰らわせ、あげく日本一になった不届きものです。その憎きロッテを率いるボビーバレンタイン監督が、口をもぐもぐさせてはダッグアウトの床に唾をペッと吐く下品な仕草をご覧になって、「ロッテ憎けりゃガムまで憎い」というお気持ちになられたのには、察するに余るものがあります。

お言葉に逆らうようですが、ボビーが噛んでいたのは、多分、ガムならぬ噛みたばこでしょう。アメリカでは、スモーカーはなにかと肩身の狭い時代です。大リーガーの間では、口にいれて噛むだけで煙草の替わりになる噛みたばこが、「隠れた煙草」として重宝されております。ところが、噛みたばこを口にすると、何リットルもの唾が湧いてきます。飲み込みも出来ず、始末に困って、そこらに吐き散らすというわけです。

ガムといえば、わたしのアメリカンの友人たちは、押しなべて、子どもにガムを噛むのを禁じております。人前でガムを噛むのは、アメリカでも、そしてニッポンでも、マナーに外れるのは当然です。

住んでみて、アメリカの文化も価値観も、ララ物資の頃、GIが運んできたそれとは大層違うことを知りました。あの頃は、GIたちの仕草を見て、これがアメリカだと思いましたが、間違っていました。いま、アメリカから沖縄にきて、アメリカンの目でGIを観察し、この思いを確信しているところです。敬具

(出典: デイリースポーツ)