名球会

名球会は、セパ両リーグそれにメージャーリーグで投手なら通算200勝、打者なら2000本安打を打った選手に限って入会を許すという、栄誉ある男たちの集団だ。名球会のメンバーとその家族は、毎年12月中旬になるとホノルルに集い、ゴルフやパーティで旧交を温めるのが恒例である。今年も12月16日、ホノルルカントリークラブでゴルフコンペのあと、ロイヤルハワイアンホテルで晩餐会を催した。今回も金田正一会長の特別な計らいによって、数少ない招待客のリストに加えてもらい、ゴルフとそれに続く晩餐会をエンジョイした。

200勝または2000本安打と口で言うのは易しいが、誰にでも出来ることではない。まず第一、余人の持たぬ、並外れた才能が要る。怪我や故障を避け、健康管理には人一倍注意を払い、一ゲームでも多くの試合に出場する機会をつくらねば、達成の見込みはない。齢30も半ばを過ぎると、体力の下降に加え気力に衰えがくる。30年前、王選手が引退に際し「まだホームランを打つ体力はあるが、気力が衰えたから現役を退く」といった言葉は、今でも強く記憶に残る。

その王さんや、400勝の金田さん、飛び入り参加のバレンタイン監督と同じテーブルに座りあたりを見回すと、稲尾投手や衣笠選手など、往年のスタープレーヤーたちがずらりと並んでいる。栄冠に輝いたこの人たちが辿ってきた途には、それぞれに独特の歴史がある。一人ひとりが「プロジェクトX」を背負ってきたようなものだ。

いまや世間は熟年の時代である。この層の厚い熟年世代は、名球会の名選手のプレーに一喜一憂しながら育ってきた。テレビも熟年世代の視聴率を無視できない今、名球会のメンバーを一人づつインタビューし、在りし日の名場面を織り交ぜて放映するという企画、いいと思うが、どこかの局で取り上げてくれないものか。

(出典: デイリースポーツ)

いらちの大阪人

3ヶ月続いた沖縄暮らしも終りに近づいた先週末、ニッポン列島をカバーした寒波のせいで、南国沖縄にも予期せぬ冬が訪れた。暖房のない部屋のなかでは、厚着していても寒さに震える。これは堪らぬ、早く暖かいハワイに逃げて帰ろうと、大阪行きの全日空機に跳び乗った。

大阪行きの便に乗ると、他の空港にない体験をする。「飛行機がゲートに到着して完全に停まるまで、シートベルトは締めたまま、お席をおたちにならないようお願いします」という客室乗務員のアナウンスもものかわ、まだかなりのスピードで動いている機内で、早くもカチカチとシートベルトのバックルをはずす音がする。動く機内の通路に立ち上がり、頭上の収納庫から荷物を下ろし始める者もいる。なんといういらち人間。

おっさん、おばはん、そないにいらいらして、どないしまんねん?

「お席を立たないでください」という再三の機内放送など何処吹く風。所定の場所に機が停まり、ジェットウエイが伸びてきてドアが開くと、今度は、われ先に外に出ようと押し合いへし合い。収納庫から荷物をおろしている後ろをすり抜けて、前へ突進しかける若い女性に、「ちょっとあんた、飛行機から降りるときには、前から順番という決まりを知らないの」といってやったら、「あ、そうなんや」と、とぼけた返事が返ってきた。

ようやく機から脱出してロビーに出てみると、こんどは一団となり、建物の出口にむかって一目散に駆けていく姿が目にはいる。空港バスに乗り遅れると、次のバスまでの30分近くを、寒風吹きさらすなか、行列をつくって待たねばならぬ。それを嫌って、ゲートから出口までを全力疾走するのだという。

「大阪人はなんでも先々考えて行動するのが特徴でんな」浪速の友に水を向けると、「そうやおまへん。いらちは、みーんな他所もんでんがな」だと。あきれた。

(出典: デイリースポーツ)

スクールバスの奨め

1週間まえ、廣島で小学校1年生の女の子が下校時に殺害され、同級生と別れたわずか3時間後に、空き地の放置された段ボール箱の中で発見された。ペルー人の男が逮捕されたが、亡くなった女の子は二度と戻らない。こんな悲劇が日常的に起こっているのに、政府はなぜ予防策を講じない?市民はなぜ立ち上がらない?

アメリカもニッポンに劣らぬ犯罪社会である。ニッポンとの違いは、市民が闘う意思を表明し実際に行動する点だ。全米どこの州でも、こどもたちを悪人どもから護るために、登下校にはスクールバスを走らせている。何十万台ものバスの購入やオペレーションのコストは莫大な額に登るが、そのためなら市民は喜んで税金を納める。

アメリカでは、真面目に働いて税金を納めている者を「善良な市民」と呼ぶ。「善良な市民」の社会を護ることが正義であり、それが価値観の原点である。この単純で明解な考えに立つと、人質を銃で脅して立てこもる犯人を警官が射殺するのは正義の遂行である。変質者の犯歴を公開し地域社会から放逐するのも正義だ。街角に監視カメラを置いて犯罪を見張るのは正義の実行である。

正義は犯罪者の刑罰にも及ぶ。ニッポンの刑法は犯人の厚生を重視し、被害者に冷たい。米国の刑法は懲罰のニュアンスが強い。多くの州では13歳に満たぬ未成年者を強姦したものは、たとえ初犯でも終身刑である。それに殺人を重ねると極刑である。量刑が極端に軽いニッポンは、外来の極悪人どもにとっては、甘い犯罪の温床と化している。

この稿を書いている間に、またもや栃木で7歳の女児が下校途中に襲われ殺害された。かつて世界に誇ったニッポン社会の安全神話は消滅した。この際、こどもの命を護るための正義とは何かを真剣に考えてみたら如何?「善良な市民」が行動を起こさねばならぬときもある。

(出典: デイリースポーツ)

一級建築士と外科医

設計事務所を経営する一級建築士が、鉄筋を何本か間引いた設計をしたせいで、軽い地震でもホテルやマンションが倒壊するというニュースが全国に波紋を広げている。ビルを建てた建設会社は、設計どおり建てたのだから責任はないといっているが、建設中にコンクリートの中に埋める鉄筋の本数が少ないと、経験で判らなかっただろうか。

渦中の一級建築士は、テレビのインタビューに、鉄筋の本数を基準よりも節約する「風潮」が業界内にあったという。「風潮」に逆らうならビジネスを失うぞと脅迫され、やむなく手を抜いたと、平然と述べる姿に嘔気を覚えた。

これを手術に置き換えてみよう。わたしが或る病院に、外科医として勤務していると仮定する。病院のオーナーから経営改善のため、手術中に使う縫合糸の本数を間引いて使えという「圧力」を受けたとしよう。縫合数を間引いた手抜き手術をすると、縫った傷は開いて、患者は生命を落とす。オーナーは、手抜き手術をしなければ、クビにするぞと圧力をかける。さて、どうするか。

わたしは躊躇せず、直ちにその病院を辞める。そしてオーナーから「圧力」があった事実を公表する。そう決断する勇気を持たぬものは、メスを持ってはならない。そう教わり教えてきた。

判断と実施が人命に関与する職業にあるものは、余人の持たぬ資格に対し免許を与えられる。免許は、資格の範疇において判断と実施を行う際、正義(fairness)を貫くことを前提にしている。医師は医療行為に際し「行為が患者の利益に供するか否か」を基本に判断し実施する。

一級建築士も外科医も、判断と実施が人命に関わる自己完結型の職業だ。「圧力」ごときに押され、ひとの生命を粗末に扱うことは許されない。「自己のビジネスを守るため鉄筋を抜いた設計をした」と他人事のように語る一級建築士に、現代の底知れぬ不気味さを覚えた。

(出典: デイリースポーツ)