ビーフジャーキーはご法度

「友だちに頼まれたビーフジャーキーの土産を買いにいったら、店の人に、ニッポンには持ち込めないよ、と釘を刺されました。アメリカ産牛肉に対して、ニッポン政府の阻止作戦がこんなに厳しいとは思いませんでした。政府もなかなかやってくれていると安心しました」

ハワイに数週間滞在し、帰国を数日後にひかえた学生のA君がいたく感心する。

「アメリカ政府も、ニッポン政府に負けてはいないよ。ついこの間、とびきり高価な神戸牛の味噌漬けを土産にと持ってきた人が、ホノルル税関で全部とりあげられたといって、大層憤慨していたよ」
「え、それはニッポン政府の牛肉輸入禁止に対する嫌がらせですか?」
「そうではない。ニッポンが、アメリカ政府によって狂牛病汚染国に指定されているからだ」
「ウソでしょう。狂牛病のないニッポンがなぜ汚染国なのですか?」

A君は色をなして詰め寄る。

「狂牛病問題がクローズアップされたあとの数年間に、アメリカで狂牛病と確定された牛はわずか2頭だ。同じ期間にニッポンでは25頭もの牛が狂牛病と確定診断されている。2対25の比率だよ。米国がニッポンを狂牛病汚染国と見なすのは当然だろ」
「ホントですか。初めて知りました」
「そうと知らずに、大和煮の缶詰やビーフ風味のラーメンをスーツケースに詰めてくるニッポン人は多い。毎日、観光客の何人かがホノルル税関の別室に呼ばれて、缶詰やラーメンを没収されたうえ、お説教を喰らっているのを知らないだろ」
「ニッポンのメディアは、なぜ報道しないのでしょう」
「なぜだろうね。ところで、キミがホノルル滞在中に食べたステーキやハンバーガーは美味しかったかい?」
「はい、最高の味でした」
「ニッポンに戻ったあとで、足がもつれたり涎が止まらなくなったら、ま、覚悟することだな」
「え、ご冗談でしょう?」

(出典: デイリースポーツ)

貝殻追放

「金融界を左右する立場の日銀総裁が、問題の村上ファンドに投資していたのは、許せることではありませんな。この際辞任して、世間を騒がせたことの責任をとるのがスジというものでしょう」

ゴルフのショットの手を休めて、Cさんは厳しい意見をのべる。

「福井総裁が投資なさったのは就任以前のことですよ。当時の村上ファンドは合法的な投資ビジネスだったのですから、一民間人として私財をファンドに投資されたことには、何の不都合もないでしょう」
「しかし日銀の総裁ともあろう御仁が、投資で私財を増やすことに、世間は納得しないのです。総裁就任時に、株や信託投資などの一切を処分すべきでした」
「それでは、福井家の得べかりし運用益は、一体誰がどんな方法で補償して差し上げるのですか。仮に証券を現金化した場合、たんす預金にでもしておけばよかったとおっしゃるのですか?」
「銀行の定期にしたらよろしい」
「定期預金した資金がサラ金に流れて、強引な取立てによって自殺者を生んだとしたら、総裁の責任はどう追及します?」
「それは屁理屈というものです」
「ニッポンは自由経済の資本主義社会です。誰にでも資産を投資する権利があります。福井さんがその権利を行使されたあとで日銀総裁に就任し、またその何年か後に投資先の村上ファンドに不都合が生じたのです。その不都合もまだ裁判で判決はでていません。それで総裁を辞任しろという論理はないでしょう」
「こうした場合、ニッポンでは世間の声に従うのです」

いらだつCさんの声が厳しくなる。

「古代アテネは民主主義で大変栄えましたが衆愚政治に陥り滅びました。その末期アテネ市民は、国家要人の去就を、貝殻追放と称する好きか嫌いかの投票で決めました。ハワイから眺めるニッポンは、衆愚政治スパイラルに陥ったように見受けられます」

(出典: デイリースポーツ)

血液型はC型

「センセは、いろんな想いがいつも頭のなかで渦巻いている御仁やから、絶対にA型やと思うわ。当たったでしょう?」

先日の大阪で、いつものイタリア料理店ドンキショッテに集い、シェフ自慢のコースとワインの一宵を楽しんだ。その夜のパートナーは某社のオーナーと某広告会社のアカウントディレクターの女史ふたり。それぞれ自分の企画裁量で組織を動かす立場にあって、40歳プラスの輝ける女性たちだ。

「残念ながら外れでんな。ボクの血液型は最近発見されたC型いいまんね」
「ウソッ!ところでセンセ、アメリカ人の性格も血液型とマッチしますのやろか?」
「アメリカ人は型に嵌められるのを毛嫌いしますねん。血液型がどうやから性格が暗いの明るいの仕分けてくれるな、占いやないでというわけですわ。血液型で性格をあれこれ言うのは、ニッポン人だけに通じる信仰みたいなもんでっせ。お二人とも、ええかげんに迷信から覚めたらどないです」
「センセ、間違うてはる。わたしの知り合いやともだちは、みな、血液型と性格が見事に一致してます」
「そう言うところが典型的ニッポン人ですがな。ひとがA型やいうたら、A型の性格ばっかりを抜き出して見てはるのと違いますか?」
「ほっといてください」
「ガンといえばサルの腰掛にアガリクス。インゲン豆がダイエットに効くといえば、買って食べて病気になる。たちの悪い商売人のええカモですがな。お二人ともしっかりものの大阪おんなでしょ。血液型なんぞで男を見定めたら人生を誤りまっせ」
「センセは、血液型と性格には、医学的な関係はないといわはるのですか」
「ニッポンとアメリカで40年医者やってて、同業者の話題になったことはいっぺんもありまへん。これで納得?」
「そやけど、世間では納得できんことも真実やいいます。わたしやっぱり信じるわ」

(出典: デイリースポーツ)

英語の達人になるためには

「センセは数年まえに引退されたのに、いまでも大勢の人が寄ってきて大変ですね」

先日、台北の圓山大飯店で開かれた国際学会のレセプションの席上、ニッポンの若いドクターが呆れ顔でいう。

この学会は太平洋をとりまく各国の小児外科医が顔をあわせる年に一度の機会だ。昔はこちらから会いたい人ばかりだったが、シニアになった今、グラス片手に立っていると、各国若手の外科医たちが「お初にお目にかかります。センセの開発された手術について伺わせてください」と寄ってくる。引退はしても手術の話になると外科医の血が騒ぐから、話しだすとつい長話になってしまう。

「センセは英語もニッポン語も同じように話されますが、何か特別な秘訣があるのですか?」

若いドクターが尋ねてくれる。

「ニッポン語も英語も、言葉は思考伝達の道具だ。その道具に載せる思考がなければ役にはたたない。
まず伝えるべき思考をニッポン語で考え、それを英語に変換して話す。慣れてくると英語で考えて英語で話す。簡単なことだよ」
「センセにかかると、なんでも簡単になってしまうのですね。それで英語が自在に話せるなら苦労はしません」
「キミたちが日常使っているニッポン語の会話を一度検証してごらん。たとえばキミが『ボクは、この患者にはあの時点で、あの薬を使ったほうがいいんじゃないかなーと、こうゆうふうに思っておりました』と症例検討会で発言したとしよう。言っていることの要約は『あの薬を使うべきだった』だ。発言の残りは意味不明で不要だ。それでもニッポン人同士なら感覚的に相互理解できる。だが、意味不明の言葉を英語に変換することは不可能だ。ニッポン人が英会話に弱い理由は、実は、このニッポン語の意味不明という特異性にあるのだ。英語に強くなるためには、簡潔明瞭なニッポン語を使うようになることだね」

(出典: デイリースポーツ)

「おじいちゃん」と呼ぶな

テレビのドキュメンタリー番組をみていると、老人施設で介護をしている若い女性が、年配の男性を抱き起こしながら、「はい、おじいちゃん、右手をあげましょうね。つぎは、左手ですよ」と声を掛けている場面が映った。笑顔を絶やさず、優しい言葉を掛けながら、きびきびと動く女性の姿には、介護のプロの自信が漲っていて、観るものに好感を与えた。

高齢者の人口が増えたいま、こんな場面は日常的に見られるようになった。ところが、自分自身の将来像をこの番組の介護施設でケアを受けている男性に重ねてみると、いささか心に引っかかるものがある。

「おじいちゃん」は、子どもや孫など身内が祖父を呼ぶ言葉である。家中の最年長者を敬って呼ぶ言葉が、子どもにも呼びやすい幼児語の「おじいちゃん」になったのだ。ならば、見ず知らずのアカの他人が「おじいちゃん」となれなれしく呼ぶのは、間違いではないのか。

英語だと祖父は「グランドファーザー」で、その幼児語は「グランパ」だ。永年勤めたアメリカの大学病院で、スタッフが老人の患者を「グランドファーザー」だの「グランパ」などと呼ぶのは、耳にしたことがない。成人患者はすべて、ミスター、ミセス、ミス、ミーズなどのあとに姓名をつけた、名前で呼んでいた。

医療も介護も、人が人を手で触れながらケアするサービス業という共通点がある。人を相手の仕事は、名前の特定から始まる。これを怠ると患者取り違えが起きる。だから、医学生も研修医も他のスタッフも、患者に対しては、敬意をもってミスターあるいはミセスだれそれとラストネームで呼ぶように、院内法規は決めている。

ニッポンの熟年たちは「おじいちゃん」だの「おばあちゃん」だのと呼ばれて喜んでいる場合ではない。自分の名前で呼んでもらうように運動を起こすときではないか。

(出典: デイリースポーツ)