『成金』と『大金持ち』は紙一重

テレビが放映する「ニッポンの大金持ち」というドキュメンタリー番組を観た。あるファミリーは東京近郊の田園地帯で代々農業を営んできた。ところが都市化の波が押し寄せ、先祖伝来の土地の価格は暴騰した。地所の一部を売った大金で残りの土地にマンションや駐車場を建設経営している成金長者のストーリーだった。

俄か成金になったファミリーの長男は、会社務めをやめて一家の資産管理の専業についた。30歳過ぎのこの男、レポーターの「このポルシェ、幾らしました?」という問いかけにもクルマを無心に磨きながら答える。「1500万円でした。これと別に家族には一人一台づつクルマを持たせています」と得意の表情。ホントウの『大金持ち』なら自分でクルマ掃除などしない筈。どこか違和感を覚える風景だった。この成金一家も、地道に不動産業を営んでいるうちは安泰だ。そのうち、先物買いの相場をすすめにくるワルイ奴の甘言に乗って、資産のすべてを失うことの無いよう祈る。

ある時、ニッポンからホノルル訪問中の自称『大金持ち』と、市内の高級レストランで会食した。この店は入り口でクルマを落とすと、5ドルほどのチップで、ボーイが駐車してくれるバレーサービスが売りものだ。

ディナーが終わり店の出口で待っていると、ボーイが駐車場からクルマを廻してくれる。この『大金持ち』、5ドルの代わりに3ドルをボーイに手渡すのをしかと見届けた。「サー、5ドルの約束ですが」「5 ドルは高いよ。3ドルに負けておきなよ」ボーイの顔から笑顔が消えた。しばし無言の間を置いて「ま、仕方がないか。はい、2ドル追加」

振り向くと「ちょっとクルマを動かすのに5ドルもぼったくるなんて、腹が立って我慢なりませんな」と苦笑する。

『成金』がここで地金を出した。思い出してもむかつく夜だった。

(出典: デイリースポーツ)

米国セクハラ事情

「おっ髪が短くなったね。ますます素敵だよ」
「あら課長さん、ありがとうございます」

月曜日の朝、週末にヘアサロンにいってきた部下の女性職員の変身ぶりを目ざとく気づいた男性上司が褒め言葉をかける。ニッポンの職場では日常的に聞かれる、上司と部下の微笑ましい会話だ。

「Hさん、アメリカだと、この課長の言葉はセクハラになるのですよ。もし女性職員が訴訟をおこしたら、課長は裁判で完敗です」
「えっ、ほんまでっか。服装や髪型がエエなあ、綺麗やなあと褒めてやってどこが悪いのでっか。それがアカンといわれるのやったら、部下とハナシも出来まへんな」

場所はホノルルのレストラン。今度ハワイで新しく始めるビジネスの準備を進めている大阪のHさんに、セクハラ予防の進講をしたときの会話だ。

「最近きれいになったなとか、いつまでも若いなとか、ワシはいつでもウチの女の子に言うてまっせ。これは『ワシはあんたらのこといつも気に掛けてるで』という思いの表現ですがな。ウチの職場はこれで人間関係を保ってますねん」
「それは大阪だけのことにしておいてくださいよ。アメリカでは、上司が部下の容姿、年齢、着衣、持ち物、趣味、恋愛などに関心を持つのは勝手ですが、それを表に出してはいけないことになっているのです」
「ワシには理解できませんな」
「たとえば、Hさんに『綺麗になったな』と言ってもらった女子社員が、内心では『社長にわたしの容姿がどうのこうの言うて欲しないわ』と思っていたらどうします。Hさんは、この女性の聖域を侵したことになります」
「それは屁理屈というもんでっせ。ワシの言うてることは常識ですがな」
「それに、『いつまでも若いな』というのは年齢差別といわれますよ。会社がスタートしたら、くれぐれも、口害に気をつけてくださいよ」

(出典: デイリースポーツ)

続 バリ島の珍事

学会恒例の晩餐会は、南十字星の星空の下で開催したいが、バリ島には夜毎強烈なスコールが訪れる。悩める企画委員会は島で一番の“お祈り婆さん”を学会の予算で雇い、すべてを託すという妙案を打ち出した。祈祷のお陰で晩餐会の間中は満天の星空だったが、おひらきと同時に大雨になった。最先端医学の学会行事が“お祈り婆さん”に支えられるというミスマッチは、バリ島ならではのユニークさだ。

そのころ、中東某国では指導者が交代し、西側寄りの人々には粛清の波が押し寄せていた。危機は医療界にも迫り、米国留学経験のある小児外科医Zは命が危くなってきた。Zの家族はすでに国外脱出していたが、一人残ったZは、バリ島の学会長から届いた特別招聘状を政府に提出し、これを口実に国外脱出を試みた。ところが空港の政府係官はZの出国を許さない。つぎなる会長の指示に従い、Zは家屋敷と家財一切の鑑定書を弁護士事務所に持参し、「Zが帰国しなかった場合には、資産のすべてを出国係官のXに譲渡する」という公正証書を作らせた。

家や宝石の写真つき鑑定書に譲渡の公正証書を添えて空港に持参し、買収するならコイツと目をつけていた係官Xに手渡す。心臓が破裂しそうな数十秒が過ぎる。パクリと餌に喰いついた係官Xは、ついにZに出国許可を出した。

こうなると長居は無用。Zは一番早い出発便がルフトハンザと知るとカウンターに駆けつけ、チケットを買い、ゲートを通過し、機内に駆け込んだ。座席に座ってはじめてフランクフルト行きの便と知った。機が滑走路を離れると体中の力が抜けたという。その後国際線を乗り継ぎ、バリ島に着いたのは晩餐会終了の直前だった。

この脱出大作戦の一部始終は、学会の会長と理事長の私だけしか知らぬ秘密だった。国際学会のウラでは、ジェームズボンドが活躍するような世界が展開することもある。

(出典: デイリースポーツ)

バリ島の珍事

アメリカ本土各地は、熱波の来襲で気温が40度にも達し、多数の熱中症犠牲者をだしている。ここホノルルは、ひんやりした貿易風のお蔭で、ゴルフのプレー中に汗が滲むことはないのだが、今年の夏はハーフが済むとシャツは汗でぐっしょり。どこかおかしい。

シャツを濡らす汗といえば、思い出すのがバリ島での出来事。ジャワ島の最東端にあるこの小島は、朝洗ったシャツを天日に干すと夕方になってもまだ雫が滴るほど、湿度が高い。

そのバリで25年前にアジアの小児外科医が集まる学会が開かれた。恒例の晩餐会はプールサイドにセットした会場で、輝く南十字星のもとに400名の参加者を集めて催された。

当時、国際学会には小児外科の師と仰ぐ大阪のUセンセと同行するのが常だった。今回も一緒にバリ島にやってきたが、本学会創立メンバーで超VIPのセンセは、各国代表との会見に多忙を極めていた。晩餐会でのスピーチの依頼をうけ、いつものことながら、「キムラ君、スピーチでオレの言いたいことはアレとコレや。英語に直しといてや」と言い置いて消えてしまった。

万年筆でホテルの便箋に書いたスピーチの原稿を、四つ折にしてセンセに手渡すと、目も通さずに「ありがと」といって、バティックの胸ポケットに入れるや、次のスケジュールへ。

さて、晩餐会の演台に立ったセンセは、胸ポケットから取り出した原稿をためつすがめつするばかりで、無言の時が過ぎる。全員が何事ぞと固唾をのむ中、やがて始まった原稿なしのスピーチは、たどたどしかったが無事終了した。満場割れんばかりの拍手は、原稿を棒読みした他のスピーカーたちをコケにした。ステージを降りるセンセに、「どうなさったのです?」と尋ねると、「キミの書いてくれた原稿は、汗で滲んでしもて、字が全然読めなんだんや」だと。それがかえってよかった。

(出典: デイリースポーツ)

白鵬に見た、ホンモノの男

大相撲名古屋場所の千秋楽結びの一番をテレビで見て背筋に戦慄を覚えた。ここ数年、大相撲各場所はNHK衛星中継で欠かさず見ているが、これほど興奮した取り組みの記憶は他にない。大関白鵬は不覚の二敗をしたものの、この一番に勝てば、わずかながらも、横綱昇進の望みが残っている。一方、対戦相手の横綱朝青龍は、ケガで休場した先場所からのカムバックを、全勝優勝で飾りたい。両者ともに、ここが正念場の大一番となった。

通路から土俵に向かう白鵬の姿には、大勝負をまえにした大力士の貫禄がある。控えの席についたあとの、目をつむり瞑想する表情が良い。燃え上がる闘志を内に抑え、湧いてくる不安や迷いと闘い続けているに違いないが、それを微塵ほども表に出さないのが、また良い。これが20歳の若者とは思えない落ち着きようだ。

いよいよ土俵に上がると、立会いで横綱と交わす視線が鋭くていい。強い野望に満ちていて素晴らしい。ほとばしるほど強烈な達成欲は、今のニッポンの男たちが失ったものだ。他の大関たちの、場所ごとに8勝して大関の座が保てさえすれば安泰だという姑息さは、微塵も見られぬ。最高峰を目指して一途に突き進む。それ以外には目もくれぬというホンモノの男の姿を見せてくれた。

朝青龍も白鳳も、ともに、10代半ばでモンゴルからニッポンに移住し相撲界に入った。ニッポンという極めて排他的社会をもつ異国のなかの、兄弟子と書いて拳骨と読むという理不尽がまかり通る角界で、飲んだ水はさぞ苦かっただろう。悔しさに枕を噛んで涙した夜もあっただろう。「負けてたまるか」と誓った強い気持ちが、彼らをここまで導いたに違いない。50歳過ぎてから、外科医人生をアメリカに賭けたわたしには、その気持ちが痛いほど判る。

今場所、白鵬の横綱昇進は成らなかったが綱取りは時間の問題だ。白鵬、頑張れ。

(出典: デイリースポーツ)