母校で講演

一月足らずのニッポン滞在を終えて、久しぶりにホノルルの我が家に戻った。早速T-シャツに着替え、テラスに立って太平洋を眺め、安堵する。10時間前には寒波の大阪梅田で、コートの襟をたてた人波の中にいたのがウソのよう。

今回のニッポンでは、母校の高校に招かれ理科系進学志望の1、2年生たちに、講演したのが一番のハイライトだった。

わたしは小学校4年生で外科医を志望し、その目的達成のために医学部に進学した。以来一度の変心も後悔もなく、外科医生活をエンジョイして来たのだから、めでたい人生といえる。この体験をベースに「少年よ、大志を抱け!」という少々大げさな演題の講演をした。

キミたちは、それぞれ将来はエンジニア、医師、薬剤師などのいずれかを志望するものと理解する。まず自分の志望がホンモノかどうかを確かめろ。その上で自身の将来設計をたてろ。将来の自分像に納得したら、その目標に向かって自身を誘導していく。そうすれば受験勉強も苦痛でなくなる。受験も大学生活も人生のモラトリアム〔準備期間〕と理解せよ。準備期間の次に来る転機を過ぎると、学んだ知識や技術を社会に還元する。その達成感はなにものにも勝る。

人間は感情に左右される。途中で気持が変わり迷うことはあって当然。人生に起きる様々な問題に、わずかな体験だけで対処することは不可能だ。問題解決には教養が必要だ。教養は活字から養える。小説、エッセイ、新聞や雑誌の記事には無数の事例や解決法が潜んでいる。教養をつけるためには縦書きの本をしっかり読め、と結んだ。

翌日、生徒たちの反応を集めたメールを送ってもらい、読んでみて仰天した。講演の間、話しかけても反応の少なかった生徒たちが、目標を将来にセット、教養は活字からというメッセージを、しっかり理解してくれていた。うれしかった。

(出典: デイリースポーツ)

5年ぶりに医者をした

東京発「のぞみ」で大阪に戻る途中、伊吹山あたりにさしかかると、急病人がでたから、医者がいたら8号車の車掌室に連絡をくれという車内放送があった。一瞬、他人事のような気がしたが「あ、オレも医者や」と、反射的に席を立っていた。

病人は50過ぎの女性。狭い車掌室の小テーブルに、うつぶせにもたれかかり、腹部を押さえている。その前に20歳代の若い男性車掌二人が呆然と突っ立っていた。

医者の第一線は5年前に退いたが、顧問をしている病院から持たされている名刺を1枚車掌に手渡し、医師である証拠とした。病人に向かって「わたしは木村という医者です」と型通りの自己紹介。続いて「どこが痛むのですか?」とたずねる。「お腹です」「いつから?」「昨日から」「食べたものを吐きましたか?」「はい」「血は混じってはいなかった?」「いません」話す言葉は明確だ。

新幹線には聴診器も血圧計も載せていない。だから頼りは問診、視診と触診だけ。わたしの耳と目と手だけが診察の道具だ。触れた限り熱もなさそうだ。手首の脈はしっかりしている。ショックだと脈拍は糸のように弱くなるが、その気配はない。車掌にたずねるとあと20分ぐらいで京都に着くという。駅に救急車の手配を頼んだ。

車掌室の中のシートを小ベッドに配置がえし、病人に横になってもらった。移る姿を観察すると、腹部をかばう様子は見られない。胃腸の穿孔による腹膜炎だと、痛みが強くて仰向けにはなれない。腹を抱えて丸くなる。穿孔でなければ、死ぬ心配はまずない。

「お宅はどこです?」「大阪です」「もうすぐ京都です。救急車を手配しておきましたから、安心してください」と手を握る。「お世話になりまして、ありがとうございました」と涙ぐみながら握りかえす。心が通い合う一瞬だ。やっぱり医者をしてよかった。

(出典: デイリースポーツ)