5年ぶりに医者をした

東京発「のぞみ」で大阪に戻る途中、伊吹山あたりにさしかかると、急病人がでたから、医者がいたら8号車の車掌室に連絡をくれという車内放送があった。一瞬、他人事のような気がしたが「あ、オレも医者や」と、反射的に席を立っていた。

病人は50過ぎの女性。狭い車掌室の小テーブルに、うつぶせにもたれかかり、腹部を押さえている。その前に20歳代の若い男性車掌二人が呆然と突っ立っていた。

医者の第一線は5年前に退いたが、顧問をしている病院から持たされている名刺を1枚車掌に手渡し、医師である証拠とした。病人に向かって「わたしは木村という医者です」と型通りの自己紹介。続いて「どこが痛むのですか?」とたずねる。「お腹です」「いつから?」「昨日から」「食べたものを吐きましたか?」「はい」「血は混じってはいなかった?」「いません」話す言葉は明確だ。

新幹線には聴診器も血圧計も載せていない。だから頼りは問診、視診と触診だけ。わたしの耳と目と手だけが診察の道具だ。触れた限り熱もなさそうだ。手首の脈はしっかりしている。ショックだと脈拍は糸のように弱くなるが、その気配はない。車掌にたずねるとあと20分ぐらいで京都に着くという。駅に救急車の手配を頼んだ。

車掌室の中のシートを小ベッドに配置がえし、病人に横になってもらった。移る姿を観察すると、腹部をかばう様子は見られない。胃腸の穿孔による腹膜炎だと、痛みが強くて仰向けにはなれない。腹を抱えて丸くなる。穿孔でなければ、死ぬ心配はまずない。

「お宅はどこです?」「大阪です」「もうすぐ京都です。救急車を手配しておきましたから、安心してください」と手を握る。「お世話になりまして、ありがとうございました」と涙ぐみながら握りかえす。心が通い合う一瞬だ。やっぱり医者をしてよかった。

(出典: デイリースポーツ)

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