「ボクの伯父さん」

軽快なスタッカットではじまる主題歌のメロディがいまも記憶を呼び戻す「ボクの伯父さん」というフランス映画を観たのは医学生のときだった。

高等教育を終え、二人とも団体の要職にあって高給をとる30代の夫婦は、超モダンな白亜の邸宅のオーナーだ。全自動化された住いは、豊かで、清潔で、秩序ある生活を可能にする。6、7歳の一人息子は、昼間は仕事、夜はパーティで忙しい両親にかまってもらえずいつも独りぼっち。当節の言葉でいう「鍵っ子」の暮らしをしている。整理整頓潔癖魔の両親は、息子が外に出てイタズラっ子のトモダチと遊ぶことを「バイキンがつく」という理由で許さない。砂を噛むような毎日を送っていると或る日、自由気ままに生きる“ブーテンの寅さん”のような中年不潔男が「キミの伯父さんだよ」と目前に現れた。「ボクの伯父さん」は、世界観、価値観、ライフスタイルのいずれをとっても両親とは丸反対だ。映画は、完璧主義を押し通す両親と、不潔で、ドジで、失敗ばかりするが、息子のしたいこと、見たいこと、知りたいことの総てを叶えてくれる「ボクの伯父さん」の、どちらを選ぶかを観るものの判断に丸投げする。このストーリーの組み立て方が、憎いほどシャレていたのを思い出す。

背景となった邸宅には、50年まえのニッポンでは見たこともないテレビ電話やリモコンで動くガレージのドア、子どもの部屋をモニターする自動監視装置など、いま風に言う“ITグッズ”がわんさか登場し、館内には溜め息が渦巻いた。

この映画は、機械化文明が飽和の閾値を超すと、ひとの想いを蝕みはじめるのを、見事に予告していた。21世紀初頭のいま、暮らしは映画が描いた通りの機械化で便利になったが、人の絆は疎遠になった。

出来ることなら、いまの眼でもう一度「ボクの伯父さん」を観てみたい。

(出典: デイリースポーツ)

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