絶望の子等を救え

ニッポンから送られてくるニュースには、親の虐待によって子どもが命を落とすという悲劇を毎週報じている。新しく出来た連れ合いに、オレと子どものどちらか選べと迫られると、母親のオンナの性が「オレ」の方を選んでしまう。二人の関係を邪魔するこの子さえいなければという母親の自己中心主義がカタルシスに導く。子どもをこの世から消えさせたいのだが、そこまで踏み切れぬ母親は逡巡の間にも陰湿な虐待を続ける。児童相談所などの役所に初報が入るのはこの段階だ。子どもそこで直ちに母親からを引き離せば、虐待も更なる悲劇も避けられる。だがニッポンの役所は行動の前に様子を見てしまう。親の権利を振りかざされると、対処できない。様子を見ている間にも虐待は続き子どもは絶望の淵に立つ。

子どもの虐待はアメリカにもあるが、対処の原理原則がちがう。アメリカの救急医療センターでは、わずかでも虐待被害が疑われると子どもの保護を最優先とした措置をとる。その手順を述べると、受傷部位をすべてカメラに収め詳細な口述記録と併せて証拠とする。病院の顧問弁護士に連絡し事情を説明。弁護士は夜中であろうと裁判官をたたき起こして、被害者の保護命令を出してもらう。「関係者は子どもから半径300メートル以内への立ち入りを厳禁する。違反した場合には即逮捕する」という具体的な命令をもらうと、直ちに警備員を呼び関係者全員を病室から排除する。悪行発覚を恐れる母親は泣き喚いて抵抗する。まさに修羅場である。だがこれで子どもの命は確実に救えるのだ。

ニッポンでの対処の現状をみると、すべての行動は子どもの命の保護を目的にという単純な原理原則、抑止力の使用許可、法の配備、それに自分の子どもをなぶり殺そうとする親の権利に逆らって、子どもを引き離す真の勇気に欠けている。

あなた如何お考えですか?

(出典: デイリースポーツ)

黄昏世代の高級スポーツカー

近くに住む知り合いの白人女性Jが仮ナンバーをつけたおろしたての高級スポーツカーに乗って訪れた。ドイツ製ツーシーターの値段は千5百万円だそうだ。「すごいクルマだね。買ったの?」「そう。学生時代からの憧れの夢のクルマをついにマイカーにしたの」だと。

Jがフォクシーな熟年女性だった頃なら、スポーツカーが似合っただろう。ところが今は、赤毛は半分白髪まじり、たるんだ目はしょぼしょぼ、頬はたれ下がりしみとそばかすだらけ、首筋は十重二十重の皺また皺、どこから見ても典型的高年女性だ。超のつく高級スポーツカーとは残念ながらミスマッチだ。最近亭主のGが糖尿病の肝腎不全症で亡くなり家が何軒も買えるほどの財産をJに残した。アメリカでは残された配偶者が全財産を相続する。何十億円であろうと相続税は1セントもかからない。Jの先行き短い人生では数十億円はオンナひとりでは遣いきれない。幼い頃からの夢をあれもこれも総てかなえて尚お釣りがくる。

その気になって身辺を見回すと、よく似たストーリーはそこここにある。ホノルル市内で超セレブ高級スポーツカーを転がしているのは、オトコもオンナもほとんどが黄昏世代のドライバーばかり。黄昏世代が何ゆえに高級スポーツカーを好む?疑問の真相をJが解き明かしてくれた。

「Gとわたしは大変な苦労をしたの。十分すぎるおカネを持って引退したけど、貧乏時代の節約習慣が抜けなかった。Gが逝ったあと、おカネをつかって一緒に楽しめばよかったと気づいたわ。二人の夢だった地中海クルーズやカナダの山荘購入も、決断さえすれば出来たのに。悔やんでもあとの祭りね。いまの医学はひとの死期を予測できないの?」「答えはノーです」「それが出来れば1セントも残さず逝けるのにね」とJは悔やむ。逝く前にスポーツカーでも、というのが真相のようだ。

(出典: デイリースポーツ)

想い出のサンフランシスコ

ニューヨークを離陸して陸地の上を延々6時間も飛んでやっとサンフランシスコに着く。ニッポンだと国内線は30分も経たぬ間に海上にでる。国内に時間帯が4つあって東西3時間の時差をもつアメリカ大陸は広い。ホノルルとNYの時差は6時間。この時差はニッポンとの5時間よりも大きいのだ。

サンフランシスコ市の中心にあるヒルトンホテルに着いたのは黄昏どき。ロビーはチェックイン客で混む筈が閑散としている。ゴールデンウィークの真只中だから、街中ニッポン人観光客だろうという予想に反し、わが同胞の姿は殆ど見かけない。なぜなのだ。

この街には1937年に建造されたゴールデンゲートブリッジ、マフィアの親玉アルカポネを収容したアルカトラス刑務所、蟹や海老料理で有名なフッシャーマンズ波止場など、魅力的な観光スポットが目白押しだ。アメリカ人が一生に一度は訪れてみたい場所がこの街だという。

むかし野球少年だった頃、オドール監督率いるSFシールズというマイナーチームが来日しプロ野球連合軍を相手に連戦連勝した。アメリカの野球はこんなに強いのかと魂消て以来この街は忘れられない。堀江青年がマーメイド号で太平洋単独横断に成功し上陸したのもこの街だった。

坂道沿いにベイウインドウと呼ぶ独特の出窓を連ねた木造3階建ての街並みが続く。その合間をケーブルカーが車両の側壁に人をぶら下げて往来する。この風景は初めて訪れた40年前と変わらない。

マーケット街大通りを歩いていると、40年前の映画でダーティハリーがならず者をマグナムで撃ち倒すシーンのロケ地に到達した。主役を演じたCイーストウッドの若かりし日の面影が瞼に浮かんで無性に懐かしかった。

夜が更けて窓の外の夜霧に潤む街灯りが次の来訪を誘う。胸ときめかせたがかなわぬ今、SFは哀愁の街に変じてしまった。悲しい。

(出典: デイリースポーツ)

ブロードウェイの「マンマミーア」

いまマンハッタンの6番街と53丁目の角にそびえたつヒルトンホテルに滞在してこの稿を書いている。部屋から通りを見下ろすと、夜半過ぎというのに人の流れの途絶える気配はない。ホテルから少し西をショウ劇場のひしめくブロードウエイが斜めに走っている。ホノルルを出発する前にホテルの係りに電話で頼んでおいた「マンマミーア」というショウのチケットがとれたので早速観に出かけた。幕が上がるのは8時。夕飯はその前でなければ、はねたあとでは遅すぎる。近くのイタリア料理店を6時に予約し、満席のテーブルでサラダとパスタ、それにグラスのキアンティだけという簡素なディナーをそさくさと済ませた。周りのテーブルの会話は専らショウの前評判ばかり。

この国に移住して真っ先に落ち着いたのがこのNYだった。その土をいままた踏んで感無量である。だが感傷に浸るとワインがまずい。オトコは幾つになっても、あとを振り向いてはいけない。ひたすら明日に向うから今日という日が生きられる。

「マンマミーア」を演っているウインターガーデン劇場は、1年を通して98%の充席率だ。今宵も満席。ショウは熟年未婚母とその娘の父親を名乗る男たちが織り成す他愛もないストーリーだが、息もつかせぬ2時間半のパーフォーマンスは素晴らしかった。数千人の中からオーディションで選ばれたアーティスト達は、某国の有力芸能事務所があちこちに圧力をかけて売り出す稚拙類芸人とは根本が違う。ホンモノのアーティスト達が観客に媚びないのがいい。フィナーレの十数分間は総立ちの観客席と一体化した演出に感極まって泣き出す人もいた。通りに吐き出さても、まるで自分が「マンマミーア」の主役を演じたような高揚感が残る。これにどっぷりハマってしまったのでもう次のNY行きを計画中。

(出典: デイリースポーツ)

コロラドの月

いまコロラド州コロラドスプリングスのザ・ブロードモアというリゾートに滞在してこの稿を書いている。歴代大統領が宿泊したというこのリゾートは、アメリカでも歴史のある超セレブなホテルのひとつだ。

部屋の窓ごしに万年雪をかぶったロッキーの峰々が見える。夕陽を受けて黄金色に輝く姿は荘厳だ。陽が落ちると急に冷え込む。乾いた空気の夜空にかかるのはコロラドの月。

客室のキャノピーのあるベッドは床から90センチ。あまりに高いので寝るときには助走をつけてエイヤッと飛び上がらねばならぬ。異常に高いベッドの由来を女性スタッフに尋ねても首を横にふるだけ。「1917年のオープン時には床をガラガラ蛇が這っていたからじゃないの?」と嫌味な誘い水を向けてもただ微笑むばかり。

「自力でベッドに上がれない熟年の客はどうするの?」と尋ねると、「シニアの方には踏み台をお持ちします」「それでも駄目なら?」「私どもスタッフが後押しに参上いたします」だと。寝るだけに後押しが要る不便さは、今風の利便簡便主義に逆らうレトロ趣味だ。だから若い恋人や新婚よりもワケあり大人の隠れ宿向きだろう。値段も飛び切り高いかわりに、ベッドインには後押しサービスもついている。

今回は会員資格を『医学の流れを変えた外科医』に限定した米国外科医師会の集いに出るためコロラドに来た。この会の日本人正会員はわたしの他にもう1人だけ。近代医学が生んだ人工心肺、開心術、臓器移植、経静脈栄養法、腸管延長術などの新技術は無数の生命を救ってきた。そんな技術を開発した外科医の集りがこの会なのだ。

ザ・ブロードモアホテルは、過去にも数え切れぬ医学会をホストしてきた。わたしの部屋にも先達の大外科医が泊まったことがあるだろう。なのにレトロのへちまのと悪口を吐くとバチが当たるかな?

(出典: デイリースポーツ)