沖縄で見つけた宝物

今から10年ほど前のことだ。アイオワ大学で親代わりを勤めたニッポンの女子学生が教育学部に学ぶアメリカンの青年と恋に落ちた。卒業と同時に青年は沖縄離島の英語教師に応募し、二人は南の離れ小島で数年を過ごした。その後米国で教育学修士号を取得した青年は嘉手納基地の米国軍人子弟学校の教師に採用され、二人は再び沖縄に戻ってきた。2年前の秋沖縄で3ヶ月を過ごした折、久しぶりに二人と再会する機会に恵まれた。

那覇市内の住まいを訪れると4人の子どもたちと一緒に暖かく迎えてくれた。子ども達は一番上が小学校1年生、間に2人を入れて一番下が1歳になったばかり。半分アメリカンの顔をした子等から「こんにちわ。いらっしゃい」と正統ニッポン語の挨拶を受けると不思議な気持ちがする。この家の公用語はパパと話すときは英語、ママとはニッポン語だそうだ。こども同士の会話には英語とニッポン語が混じりあう。

「いつ着いたの?」「ハワイと沖縄を比べるとどっちが暑い?」「食べ物は何が好き?」「沖縄にはいつまでいるの?」好奇心旺盛な子ども達は訪れた家内とわたしを質問攻めにする。ふと気づいてみるとこの家の子ども同士や両親との間で交わされる会話の量は並外れて多い。両親は子ども等の質問を煩さがりもせず一つ一つ丁寧に答えてやっている。

「子ども達が礼儀正しくて好奇心旺盛な裏にはなにか秘訣があるの?」「たぶん我が家にはテレビがないからでしょ」とパパが答える。「テレビにのめり込むと人と対話しなくなります。それに今のテレビ番組は下品で愚劣で、子ども達が学ぶものは殆どありません」さすが教育学修士のパパ、視点が鋭い。独自の価値観を持つ両親に育てられた子どもたちは、沖縄で見つけた宝物だった。

(出典: デイリースポーツ)

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