『医者は社会常識が欠落』

「麻生総理が『医者は社会常識がかなり欠落している人が多い』と発言しはった言うて揉めてますな。医師会長が総理に抗議文を渡しはったそうでっせ。センセも何かひと言いいたいのと違いますか?」大阪のオッチャンはじっとひとの目を覗き込む。「オトコやろ。なんぞ言わんかい」とけしかける目だ。
「総理の発言には一理あります。周りを見渡してみますと確かに世間を知らない医者はおります。一方で社会常識が欠落した暮らしぶりを強いられている医者もいます」

「センセ、それどういう意味でっか?」「普通の人は大学を出て就職したら会社や役所から月々生活が出来るほどの給料を貰うでしょ。給料のほかに健康保険、年金、通勤手当をはじめ各種手当ても付けてもらうのが当たり前でしょ」「当然の権利ですな」「ところが多くの若いドクターたちは、今でもこんな当たり前の権利を貰えぬまま、病院に勤務し患者さんの命に重い責任を負わされているのです。これ社会常識に反すると思いませんか」「思いますな」「日給月給といって出勤日数に日当を掛け算したわずかな手当てだけで、健康保険や年金は自前の国民保険。それで10数年間も大学病院の屋台骨を支えている中堅ドクターに会いました」「それやと生活でけまへんやろ?」「ですから週に何日か大学病院を休み市中病院でアルバイトします」「ふーん?」

「たとえば財務省のキャリアが、給料が安いからといって市中銀行でバイトしますか?」「しまへんな」「国は医者一人育てるのに5千万円もの税金を使っています。大金を投じて育てた専門職の医者を永年劣悪な勤労条件のままで放任すると、優れた技術を習得したころ辞めていきます。それが医療崩壊のはじまりです。医療崩壊は医者を大事に扱えば防げるのです。それに気づかぬ役所は社会常識が欠落していると思いませんか?」

(出典: デイリースポーツ 2008年11月27日)

独りごと芝居「マサーキ」

立錐の余地もない場内が暗転し幕が上がる。粗末な野良着姿の老人が舞台の真ん中に座っている。頃は戦後間なし。ところはH県のチベットと言われる寒村。当時7歳の「マサーキ」はじい様とこの村で暮らしていた。芝居は「マサーキ」の暮らした村の思い出を、じい様の独り語りに託して観させてくれる。

「山の斜面を駆け降りる風は水を張った田んぼの上を吹き抜け、川面を撫で、季節の息吹と土の香を満載して土手まで運んでくる。この匂いがすべてじゃ」じい様のつぶやきは短いことばながら、「マサーキ」の心に残る村の風景を見事に描き出す。

切った丸太を木馬と呼ぶ橇に載せて山から麓まで滑り下ろすのを生業とするアサという男がいた。木馬乗りは命がけの男の仕事だ。だからアサは子ども達の英雄だった。ところがある日の事故でアサは片足、職、生き甲斐のすべてを一瞬にして失った。川で獲った魚を糧に1日1食で暮らす失意の日々。人生では栄光と没落の境目は紙一重なのだよ、とじい様は教えてくれる。

子ども二人を乗せた自転車が急坂を駆け下りて岩に激突。原型を留めぬ自転車が衝撃の強さを物語る。倒れた子どもはびりとも動かぬ。村人たちは遠巻きで見守るだけ。駆けつけた半狂乱の母親が抱き上げると子等は大した怪我もせず生きていた。オンナは強し。母は尚強し。感激の一瞬。死は日常的なものなのだよ、とじい様は言って聞かせる。

「マサーキ」がこの芝居の企画、原作、脚本、出演を一人で仕切ったのにはワケがある。村の大人の喜怒哀楽に触れて育った幼少期の感性は「マサーキ」のその後の人生に独特の価値観を形成した。だからこの芝居を演れるのは感性と価値観のつながりを知る「マサーキ」本人だ。実体験から生まれた数々のメッセージは芝居をみたもの心を打った。その「マサーキ」とはデーリースポーツ紙の「元気」欄を主宰する坂本昌昭氏のことである。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月20日)

プロの途は厳し

「石川遼がしびれさせて呉れましたな。17歳の高校生がアンタ、父親ほど年の違うベテランプロ相手に、池の中からのスーパーショットを決めての優勝でっせ。久しぶりに胸がスーッとしましたがな」大阪のオッチャンはご満悦。手にしたグラスの焼酎をがぶりと呑む。

先週マイナビABCチャンピオンシッププロゴルフの最終日、石川選手は3ホールを残す15番で首位の深堀選手に追いついた。続く2ホールで深堀を2打差リードして首位にたち最終18番パー5のティーグランドに上がった。若い身体に渾身の力を込めて放った300ヤードのドライブは左側ラフに着地。ティーショットを右手ラフに外した深堀は第3打をグリーン手前のエッジに載せた。

グリーンまで残り170ヤード。石川には池越え2オンを狙うか安全に刻んでパーオンするかという二つの選択肢があった。深堀がバーディでも石川がパーなら1打差で優勝だ。当然刻んでパーを取りにいくところだが、テレビは2オン狙いのアドレスに入る姿を写しだす。「ウソだろ。刻んでいけ!」叫びも虚しくショットはグリーン手前の斜面を池に転がり込んだ。浅瀬からの水中ショットが幸運にもグリーンを捉えパーで優勝を手にしたが、ボギーでプレーオフの可能性も十分あった。

「ベテランでも難しい水中ショットをよくグリーンに乗せました。17歳とは思えぬ落ち着いたプレーでした」アナウンサーも解説者もミラクルショットに最大の賛辞を送る。だが待てよ。水に落としたのは石川自身ではないのか。選択の是非を問わないのが腑に落ちない。結果よければ凡てよしではなかろう。

「タイガーウッズなら間違いなく刻んでいます。石川はまだ判断が未熟です」「今日のセンセは、えらい厳しいでんな。池からのショット、カッコよかったやおまへんか」とオッチャン。「プロは勝ってなんぼの世界です。カッコはおカネになりません」「センセ、大分醒めてますな。酒が足りまへんな。オーイ、酒!」

(出典: デイリースポーツ 2008年11月13日)

医療崩壊

突然強い頭痛を訴えた出産間近の女性を脳出血と診断した産科医は、産科と脳外科の複合治療が必要と判断し直ちに総合病院に緊急搬送の手配をした。ところが緊急搬送を受け入れてくれる病院がない。無為に時間が過ぎる間にも病状は進行し、それが原因で数日後に女性は死亡した。

緊急搬送患者を受けるか否かは当直医師の決断事項だ。決断の前には院内の状況把握が要る。この女性患者の場合を例にとると、外部から連絡をうけた当直医は、脳外科医および麻酔科医のスケジュール、産科病棟、新生児病棟、手術室、術後の集中治療室などの空き状況、および脳出血評価のためのMR検査室が利用可能かどうかなどを院内各部門に問い合わせ、全てが「OK」なら患者搬入を受け付ける。院内各部門にはそれぞれの都合があり、当直医の懇願に逆らって「OK」を出してくれない。懇願が論争に発展することもしばしばだ。一部門でも「OK」が出ないと、当直医は断腸の思いで患者搬入を断らねばならぬ。当直をしていて実際にこんな場合に直面すると死にたくなるほどの無力感に襲われる。

無力感のあとは憤り。怒りの対象はその場限りの無能な病院経営陣から、全国の病院をこんな状況に放置したまま無為無策で無責任な医療行政に向かう。憤れども変らぬ状況に絶望すると、こんどは自らの立場に嫌悪感を覚える。断れば命を失うかもしれない患者をただ断るためだけに病院にいる自分が許せない。絶望や嫌悪から逃れるためには病院を辞めるしかないと思い始める。医者が病院を辞めるウラにはこんな深刻なワケがあるのだ。そして医療は崩壊する。

報道によると最初に連絡を受けた総合病院では、産婦人科研修医が単独で当直していたという。研修医の診療は指導医の常在のもとでというのが鉄則だ。医師不足を患者の安全を無視する免罪符にしてはいけない。果たしてこの鉄則は護られていたのだろうか?すべては藪の中だが、そこで議論を終えると医療崩壊は止められない。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月6日)