独りごと芝居「マサーキ」

立錐の余地もない場内が暗転し幕が上がる。粗末な野良着姿の老人が舞台の真ん中に座っている。頃は戦後間なし。ところはH県のチベットと言われる寒村。当時7歳の「マサーキ」はじい様とこの村で暮らしていた。芝居は「マサーキ」の暮らした村の思い出を、じい様の独り語りに託して観させてくれる。

「山の斜面を駆け降りる風は水を張った田んぼの上を吹き抜け、川面を撫で、季節の息吹と土の香を満載して土手まで運んでくる。この匂いがすべてじゃ」じい様のつぶやきは短いことばながら、「マサーキ」の心に残る村の風景を見事に描き出す。

切った丸太を木馬と呼ぶ橇に載せて山から麓まで滑り下ろすのを生業とするアサという男がいた。木馬乗りは命がけの男の仕事だ。だからアサは子ども達の英雄だった。ところがある日の事故でアサは片足、職、生き甲斐のすべてを一瞬にして失った。川で獲った魚を糧に1日1食で暮らす失意の日々。人生では栄光と没落の境目は紙一重なのだよ、とじい様は教えてくれる。

子ども二人を乗せた自転車が急坂を駆け下りて岩に激突。原型を留めぬ自転車が衝撃の強さを物語る。倒れた子どもはびりとも動かぬ。村人たちは遠巻きで見守るだけ。駆けつけた半狂乱の母親が抱き上げると子等は大した怪我もせず生きていた。オンナは強し。母は尚強し。感激の一瞬。死は日常的なものなのだよ、とじい様は言って聞かせる。

「マサーキ」がこの芝居の企画、原作、脚本、出演を一人で仕切ったのにはワケがある。村の大人の喜怒哀楽に触れて育った幼少期の感性は「マサーキ」のその後の人生に独特の価値観を形成した。だからこの芝居を演れるのは感性と価値観のつながりを知る「マサーキ」本人だ。実体験から生まれた数々のメッセージは芝居をみたもの心を打った。その「マサーキ」とはデーリースポーツ紙の「元気」欄を主宰する坂本昌昭氏のことである。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月20日)

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