医療崩壊

突然強い頭痛を訴えた出産間近の女性を脳出血と診断した産科医は、産科と脳外科の複合治療が必要と判断し直ちに総合病院に緊急搬送の手配をした。ところが緊急搬送を受け入れてくれる病院がない。無為に時間が過ぎる間にも病状は進行し、それが原因で数日後に女性は死亡した。

緊急搬送患者を受けるか否かは当直医師の決断事項だ。決断の前には院内の状況把握が要る。この女性患者の場合を例にとると、外部から連絡をうけた当直医は、脳外科医および麻酔科医のスケジュール、産科病棟、新生児病棟、手術室、術後の集中治療室などの空き状況、および脳出血評価のためのMR検査室が利用可能かどうかなどを院内各部門に問い合わせ、全てが「OK」なら患者搬入を受け付ける。院内各部門にはそれぞれの都合があり、当直医の懇願に逆らって「OK」を出してくれない。懇願が論争に発展することもしばしばだ。一部門でも「OK」が出ないと、当直医は断腸の思いで患者搬入を断らねばならぬ。当直をしていて実際にこんな場合に直面すると死にたくなるほどの無力感に襲われる。

無力感のあとは憤り。怒りの対象はその場限りの無能な病院経営陣から、全国の病院をこんな状況に放置したまま無為無策で無責任な医療行政に向かう。憤れども変らぬ状況に絶望すると、こんどは自らの立場に嫌悪感を覚える。断れば命を失うかもしれない患者をただ断るためだけに病院にいる自分が許せない。絶望や嫌悪から逃れるためには病院を辞めるしかないと思い始める。医者が病院を辞めるウラにはこんな深刻なワケがあるのだ。そして医療は崩壊する。

報道によると最初に連絡を受けた総合病院では、産婦人科研修医が単独で当直していたという。研修医の診療は指導医の常在のもとでというのが鉄則だ。医師不足を患者の安全を無視する免罪符にしてはいけない。果たしてこの鉄則は護られていたのだろうか?すべては藪の中だが、そこで議論を終えると医療崩壊は止められない。

(出典: デイリースポーツ 2008年11月6日)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です