“世界のミムラ”のゴルフ靴

「生後間もなく手術してもらった娘が嫁ぐので一度お会いしたい」と連絡があったのは去年の夏。名前を聴いてもどんな手術をしたか思い出せない。ところがホノルルの我が家を訪れたドクターで父親のMセンセから当時の病状を少し話してもらうと、25年前の手術の記憶が鮮明に甦ってきた。職人外科医はこうでなくっちゃ。

秋に訪れたニッポンで、会わせたい人がいるというMセンセに連れていかれたのは神戸近郊のアシックススポーツ工学研究所。“金メダルの靴職人”と呼ばれる三村仁司さんに引き合わされた。研究所というから白衣の学究姿を想像していたが、普段着姿の普通のおっさんだったのでほっとした。

アシックスシューズのオーダーメイド部門を仕切るこの人はボストンマラソンを制した瀬古選手、五輪女子マラソン覇者の高橋尚子や野口みずき、それにメージャーの盗塁王イチローなど世界的スーパースター達が履く靴の仕立てを一手に引き受けている。五輪開催時には現地へ出張し試合当日の天候や選手の体調にあわせて靴を造り直す。造った靴は2万足に及ぶが「ひと目見ると誰の靴かすぐ判ります」というコメントには、職人外科医と共通点がある。

美人助手が最新機械で計測したわが足のデータに目を通しながら「センセは歳のわりに下肢の筋肉が発達してますな。よう飛びまっしゃろ」「3番アイアンで210ヤード行きます」「左の腰で引っ張る打ち方ですな」「なんで判りますねん?」「プロの職人でっせ。データと足の格好見たら一目で判りますがな」

Mセンセに“世界のミムラ”の仕立てるゴルフシューズを一足プレゼントしてもらい、ミムラさんの顧客リスト入りした。ミムラシューズは足のウラに吸い付くような感触だ。コースで履くのがもったいないような気がする芸術品だ。これでスコアが良くならなかったらどうすればいい?

(出典: デイリースポーツ 2009年1月29日)

ドギーバッグ

「センセ、今日の新聞にレストランでドギーバッグ制度を始めたと書いてありましたが、これは一体何のことですねん?」

1週間まえに寒いニッポンに着いて久し振りに大阪のオッチャンと会った。

「ドギーバッグというのは、レストランで食べ残した料理を容器に入れてもらい自宅に持ち帰って食べるというアメリカでは何十年も昔からある習慣です。こうすれば食べ物を無駄にせずに済むでしょ」
「なるほどええ考えですな。ニッポンではなんで今まで誰も気づかなかったんやろ」
「ニッポンにきてレストランで食事するたび、食べ残しをドギーバッグにして欲しいと頼んでみましたが店の人に断られてばかりでした。保健所の規則では食べ物は一切店外持ちだし禁止というのがその理由でした」
「そのワケは?」
「客が後で食べて食あたりでもしたら責任問題になるからだそうです」
「それは無茶でんがな。普通オトナやったら食べ物が傷んでいるかどうかぐらいアホでも判断できまっせ」
「ボクもそう思います。でもニッポンの役所は国民を幼稚園児扱いするのが好きなのです。国民も役所の指導に従うのが好きなように見受けます」
「言われてみるとニッポン人は稚拙なところが多いでんな」
「この愚かな規則とニッポン独特の賞味期限が併さって、年間に数百万トンもの食べ物を無駄にしています」
「今回役所はどうして規則を変える気になったんでっしゃろ?」
「不景気風が吹き始めて遅まきながら気がついたのではありませんか?」
「ところでなんでドギーバッグいいますねん?」
「あるとき高級レストランで食事を済ませた上流夫人が『食べ残しは宅の犬に食べさせますから袋〔ドギーバッグ〕に入れて頂戴』と頼んだのが始まりと聞いております。お宅では勿論ご自分でお上がりになったようですが」
「なるほど。ドギーバッグは犬の袋いう意味でっか。アメリカ人もオモロイこと言いますな」

(出典: デイリースポーツ 2009年1月22日)

本末転倒

ニッポン各地の病院の医師不足は深刻さを増す一方のようだ。公立病院で閉鎖を余儀なくされるところが増えている。これに対し政府は医学部の定員を増やして医師を増産する政策を発表した。医師不足に医師増員、いかにも迅速適切な対処のようにみえる。だが騙されてはいけない。いますぐ医学部入学枠を広げても効果がでるのは10年先なのだ。

医師不足には3つの要因がある。絶対数の不足、偏在、個々の医師のパーフォーマンスだ。要因の一つ一つを検討すると医師増員のまえに解決すべきことがある。

米国の医学生は卒業と同時に全員が選んだ臨床科別の研修に入る。数年間の研修修了後は臨床医として診療を開始する。約30%がさらなる専門分野の研修および研究に進むが、数年以内に診療の現場に復帰する。一方ニッポンの医学部では卒業生とほぼ同数の定員を持つ大学院が卒業生を取り込まんとして待ち構えている。大学院に入学すると4年間は研究中心の生活だ。毎年生れる7千名の医師全員が大学院に進学すると、全国の診療現場から2万8千名の医師が奪取されることになる。

大学院は文科省の管轄である。単なる教授から大学院教授というもったいぶったタイトルに格上げ(?)してもらった教授陣は、文科省の意向におもねり大学院の定員充足に励まねば自身の足元が危なくなる。かくて大学院に人集めするため大学医局は各地の病院から医師を引揚げ、その結果地域社会の住民は医師不足に苦しむ。

医学の本来の使命は診療であり、その知技を後進に伝承することにある。診療上の行き詰まりを解決するため医学研究が生まれてきた。これが医学のプリンシプルなのだ。

ところが、いまニッポンの医学界を海外から望見すると、プリンシプルを忘れた診療軽視、研究重視という本末転倒のなかで、七転八倒する姿が浮かびあがってくる。

(出典: デイリースポーツ 2009年1月15日)

ホノルル歳末記

「どうです。商売繁盛していますか?」
「いや、さっぱりですわ。こんなに人の少ないカラカウア大通りは9.11テロ直後の正月以来初めてでんな」

関西からホノルルに移住してみやげモノ屋をしているAさんとの会話だ。

「皆さん財布のひもが固うてあきまへん。安モンばっかり人気があっても儲かりまへんわ」
「今まで暴利をむさぼってきたのだから、たまには吐き出しの奉仕やと思えばバチは当たらんでしょう」と毒づいてみると、
「こんな不景気で厳しい時節に奉仕やて無茶いうたらあきまへん。倒産しまんがな」

立ち寄った店内にも人影はまばら。日ごろならごった返すお客の対応に追われ、店主も引退外科医のようなヒマ人との会話に付き合ってはくれない。与太バナシに華が咲くのも店がヒマな証拠だ。

暮れから正月にかけてはニッポン各地から毎日7千人の観光客がホノルルに到着する。それが今年は連日4千人止まり。これでは観光ビジネスは干上がってしまう。

パーティーでばったり出会ったレポーターの梨本勝氏に「どうです。芸能人は大勢ハワイにきていますか?」と尋ねてみると「今年は少ないですね。キョーシュクです」という返事が戻ってきた。ハワイは芸能界からも見捨てられたのかと愕然とする。

暗い気持ちでテレビを見ていたら突如夜空を切り裂く大閃光が奔り、落雷の響きと同時に電気が止まって真っ暗になった。外を見ると豪雨の中、暗闇を照らすはクルマのヘッドライトだけ。夜も更けて雨もあがったが、街灯も人家の明かりもない漆黒の空には無数の星がきらめくだけ。太古のハワイは多分こんな情景だったのだろうと想いを馳せる。

電気が停まればエレベーターは動かないし水も出ない。飲み水を求めて8階から非常階段で地上まで往復2回。汗だくになりながら文明の有難味を再確認させてくれた大停電だった。

(出典: デイリースポーツ 2009年1月8日)