受験の季節に想う

ニッポンの各大学ではまだ受験シーズンの最中だ。少子化で受験生が減り定員割れの大学が続出している。教授は高校を巡回訪問し「貴校の生徒に是非ともわが大学を受験するようご指導お願いします」と頭を下げて営業活動をするという。筆者らが経験した競争率10数倍という受験地獄は遠い昔のことのようだ。営業努力で獲得した受験生は無試験で合格。大学生としての資質を問うよりも、全員に卒業証書を渡して送り出すのが教授の最重要任務だという。

14年間教壇に立ったアメリカの大学は理念も実情も大きく異なる。入学志望者は内申書だけで申し訳程度に選別するが、殆ど無審査で入学させるのは今のニッポンの大学と同じだ。だが学生たちには2年間の宿題地獄と試験地獄が待ち構えている。大学の理念に沿ったカリキュラムで厳しく教育し、学業に耐えられぬ者は排除するという選別方法をとる。志望学部への進学は入学後の過酷な競争の勝者にのみ授与される報償という仕組みだ。

ニッポンでは入学者全員を卒業させるのが大学の使命であり原則だという。受験が選別の機能を果たした時代はそれでよかったが、今のように無試験で入学する学生に卒業を保証したら、まったく勉強しない者も大学卒業生になる。こんなゆとり教育で大学教育を受ける大学生の学力では、入学後の生存競争の勝者である米国大学生と競合して勝ち目はない。このままだと日米大学生の実力差は開くばかりだろう。

入学定員を減らせば競争が生じて問題解決の可能性がでる。だが授業料の減収により大学は経営が成り立たない。それが困るとう理由で無能な学生を社会に送り出していいワケはない。過去にアメリカでは多数の大学が廃校になり学部が取り潰された。よい教育のレベル維持には痛みを伴うが、学園の都合を優先するのは原則に反する。

(出典: デイリースポーツ 2009年2月19日)

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