外科部長の泣きどころ

「この間、どこかの病院の偉いお人と居酒屋で偶然隣り合わせになりました。この御仁は外科部長やいうてはりましたが、部下の若いドクターが何やら間違いをして患者に訴えられた、こんなことが起こるたびワシは患者に平謝りや、テレビや新聞がきたらカメラの前で最敬礼し世間に向かって陳謝せなあかん。自分のミスでもないのになんでワシが頭さげなあかんねん、もうやってられん、病院を辞めて開業したろかとおもうてんねん、というてえらいぼやいてはりました。センセも同じような経験をしたことはおまへんか」

オッチャンは巷で聞き及んだハナシを、すぐこっちに振ってくる癖がある。
「わたしは、幸いなことに、その部長さんと同じような立場に立ったことはありません。しかし、その御仁のお気持ちはよく判ります。
ニッポンの医療界では、病院の幹部が、医師の技量と人柄を吟味して適切な人のみを採択することは出来ない相談なのです。ドクターを採用する場合、一つは大学の医局にお願いして医師を派遣してもらう、もう一つは個人で求人に応募してきた医師を採択するという二つの方法しかないのです。
大学医局から派遣されてきたドクターが、仮にウデが悪くてニアミスを繰り返したとしても、医局と将来の折り合いを考えると、勝手に辞めさすわけにはいかない。仕方なくそのまま働いてもらうと、『オレはこの病院に来てやってるんや。ありがたく思え』という思い上がった態度をとる。
今の病院はチーム診療で成り立っています。一人でも院内から総すかんを喰らう医師がいるとチームワークが崩れる。その人柄を嫌って退職していくスタッフも出てくる。思い余った病院幹部が医局長と掛け合っても、そんな不届き者をおいそれとは引き取ってくれない。職員間の信頼関係が破壊され、ついに病院はたった一人の人間のせいで崩壊に向ったという最悪のケースを見たことはあります」
「病院の内部事情は、わたしらめったに知る機会はおまへんが、人間関係って深刻なもんがありまんねんな」
「医局から派遣された医師は集団のなかにいますから、先輩や同輩に尋ねてウデのほどを知るすべがありますが、求人に応募してくる一匹狼のようなドクターを雇用すると、高い未知のリスクを覚悟しなければなりません。そのドクターが以前働いていた病院に問い合わせてみても、真実を知ることは殆ど不可能です。ウデのほどや人柄は職に就いたあとで見せてもらうしかないのです。
本来、数ヶ月間の観察期間をおいて、人柄や技量を見た上で本雇いを決めるのが理想ですが、医師不足の昨今、病院幹部にはそんな条件を提示する勇気はありません。大方の場合、医師資格さえ持っていれば本人が自称する専門医師として雇用してしまうのです。
ニッポンはG7の先進国のなかで唯一、医師に専門科別の資格を持たせていない国なのですよ。アメリカで外科医といえば卒後5年間の研修期間に最低500回の手術を行った経験のある医師のみに与えられる称号です。他の国でも大体似たような基準があります。
ニッポンでは外科の研究室に在籍した年数も外科経験年数に一緒に加算して、外科在籍10年などと自称し経験豊かな外科医のフリをしても罰せられませんが、他の国だと経歴詐称で刑事罰をうける可能性があります。
医師不足の折から、背と腹を変えた外科医が内科医と称して開業したり、内科医が開業するときには小児科医兼業を称したり、まさに好き勝手にし放題という観がします。
そんな背景を知ると、お会いになった外科部長が『やってられんわ』とぼやかれるウラの事情は大体お判りいただけるでしょ」
「なるほど。あの御仁がぼやいとったワケが、やっと飲み込めましたわ」

2 thoughts on “外科部長の泣きどころ

  1. 私はアメリカで心臓外科研修をしている者です。以前から先生のブログを見させて頂いています。非常に面白く、特に日本とアメリカの比較の話になると、納得させられることばかりです。これからもブログを続けて頂きたく思っています。

  2. いつも拝見させて頂いております.先生のいらしたアイオワ大学で整形外科の研修をしている日本の医師です.こちらに来て先生の仰っている日本の問題がはっきり分かります.日本もアメリカの医療制度のいいところを見習うべきだと思います.是非ブログをずっと続けてください.

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