ヨコスカ米国海軍病院インターン物語(6)
Dr. フォーセットに習った患者接遇術

1963年から47年を経たいまも、ニッポン国内の米軍病院のインターンに応募する医学生は跡を絶たないが、それにはワケがある。そのワケを知るには、米国の卒後研修制度を理解する必要がある。

米国の医師卒後研修制度

米国の医師卒後研修制度は、いまをさかのぼる98年まえ、1913年に端を発した。それ以来、ほぼ1世紀間の試行錯誤を重ねて改良を加えてきた。
いま米国の医学部卒業生は、卒後医学教育認定評議会(ACGME)が指定した研修認定病院で、科別に定められた期間を、研修指導医の指揮のもとで、所定の臨床実習と専門とする学科の系統授業を受けなければ、研修を終えることができない。
研修を修了しないと、研修した科の専門医試験の受験資格がない。専門医試験にパスして専門医資格を取得しなければ、外科医、内科医、小児科医など専門家医師として開業することはできない。仮に開業したとしても、保険会社は被保険者の診療費を支払ってくれない。非専門医には、医療費を請求する資格はないのだ。
専門医資格のない医師は、病院に勤務することは不可能である。資格のない医師に診療を許した病院は、病院評価合同委員会(JCAHO)の認定を取り消される。そうなると入院や外来診察の医療費の請求受領が出来なくなる。このように入り組んだ相互力学によって、医療の質が維持される仕組みが出来上がっている。
一方、日本では医師国家試験に合格して得た医師免許があれば、いかなる診療を行っても合法としている。だから昨日まで内科医をしていた医師が、今日からメスを持つ外科医でございと名乗って患者を手術しても許されるのだ。こんなニセ外科医の治療をうける患者の身になってみれば、これほど市民を愚弄する制度に憤怒せずにはいられまい。
米国で医師免許がオールマイティの効力を失って30年近くになる。
医師免許は研修医として診療に従事するために必須のものであるが、研修を終えて各科のライセンスすなわち専門医資格をもって、はじめて単独で診療がゆるされるというダブルセーフティが出来上がっているのだ。
というワケで、医学部卒業生は全員が卒後研修を受ける。
ヨコスカ米国海軍病院のインターンがいまでもニッポンの医学生の間で人気があるワケを謎解きしてみよう。
将来、米国にわたり、どこかの研修病院で5年間の外科研修をうけ、さらに2年間の小児外科研修をうけて修了した暁には、米国のどこかの大学で、小児外科医として、また教壇にたつ教授として活躍したいと願う日本の若者がいるとしよう。この若者がヨコスカ米国海軍病院でインターンを終えたとしても、米国の研修プログラムは一部たりとも研修の足しという解釈はしてくれない。
だが、米国の医学教育や診療のシステムに慣れる、指導医から推薦状を書いてもらえる、なににもまして1年間英語社会に暮らすと英会話が上達するなどの利点がある。だから、ヨコスカ米国海軍病院でインターンをするためには、いまでも厳しい競争に勝ち残らねばならない。

国試浪人は医師不足の一因

米国の医学生たちは医学部卒業前に医師国家試験を受ける。この試験をパスしなかった学生は医学部を卒業させてもらえない。留年して勉強をしなおし、国家試験に再度挑戦するしかない。国家試験という本来だれでもパスする資格試験に合格できない学生を育てた医学部は、そんな学生を再教育しなおし、次回にこそ必ず合格させる責任を負うべきである。
ニッポンでは、医学部卒業が医師国家試験の受験資格とされている。だが、現実は厳しい。受験者の1割は合格できない。
不合格者たちは「医学部は出たけれど医師に非ず」という身分の国試浪人と呼ばれる存在になる。次の試験まで、国試予備校に通っている間は医師として診療活動することはできない。これがいま問題の医師不足の一因となっている。
米国にハナシをもどすと、研修医は医師であるから診療行為は出来るが、専門医資格を持たないので診療報酬の請求はできない。診療報酬が請求できなければ職業人としてひとり立ちできない。
このようなシステムを確立することで、未熟医師が起こす医療事故を未然に予防し、患者に不幸な結果をもたらすことの防止策として役立てている。
ニッポンでは、医師国家試験に合格すると、医師としていかなる診療活動を行うことも許される。未熟な医師でも、その診療行為にたいして診療報酬を受け取ることもできる。
これをクルマの運転にたとえると、運転の実地試験を省略し、学科試験のみに合格したドライバーが、いきなり運転席に座って市内を走り回るようなものである。先進国の中で医師の資格審査が一番ゆるやかなのがニッポンであることを、ニッポン国民はもっと知るべきである。
去年からニッポンでも、医学部を卒業したあとの2年間、各科を巡る卒後研修が必須になった。ところが、これら研修医の診療行為であっても、病院は診療報酬を請求し、健康保険団体から診療報酬の支払いを受け取れる仕組みなのだ。この理不尽を放置したまま先送りするところが、ニッポンの特異性なのだろう。
一方、米国でも10年余りまえに、研修医の診療行為を指導医が行ったことにして診療報酬を請求した大学病院があった。ある日、この病院のおこなった診療報酬不正請求は詐欺行為としてFBIに摘発され、過去10年にさかのぼって百億円を超える罰金を支払わされた。どこの国でも医療制度には問題は多々あるが、米国では患者、すなわち市民の生命と権利を保護するため、医療の質を保証する仕組みだけはしっかり稼動している。先進国のなかで医療の質の担保が一番薄いのはニッポンであることを銘記すべきである。

「習い、施し、教える」

市民の生命と権利を保護するため、医師はなにを為すべきか。
「習い、施し、教える」ことが、全米の医師の間では、暗黙の約束になっている。
この約束は、「先達から習った知技を、患者の治療に役立て、後輩に教え継いでいく」、という意味だ。実際、すべての医師はこの不文律を守らざるを得ない仕組みになっている。
この約束を守らない医師は、病院で診療をする権利を剥奪される可能性を秘めているからだ。 ヨコスカ米国海軍病院のスタッフ医師たちもこの約束を厳しく守っていた。
ニッポンの病院の医局では、若い医師を集めて内科や外科の系統授業をする伝統が全くない。「教え、実施し、教える」という、代々の医師の間に言い伝えるべき約束ごとが存在しないからだ。
かわりに「先輩の手技を見て技を盗め」だの、「一人前の医者に向かっていまさら授業なんかできるものか。知識は自分で勉強して身につけるものだ」という声が大きい。これでは、いつになっても、いい医者を育てることはできない。

Dr. フォーセットに教わった患者接遇術

「『次の患者さん、どうぞ』とナースに呼ばれて、患者はキミの診察室に入ってくる。そのとき、医師であるキミはどちらの方向を向いているべきだと思うか?」
40年まえ、ヨコスカ米国海軍病院内科医長Dr. フォーセットが、内科の授業で前列に座ったインターンに尋ねた質問はいまでも鮮やかに思い出される。
病気の定義や症状、検査の選択や治療方法ばかりを教えるニッポンの医学部では、こんな質問をする教授はいないから、インターンの誰もが答えられずに黙っていると、
「入り口のドアの方を向くが正解だよ」
と教えてくれた。
その理由が興味深かった。
「医者に診てもらいに来る病人は、どこか具合が悪いからだ。何処が悪いのか判らないまま、最悪の場合これで命を失うかも知れないという不安を抱えている。これは命に関わる大問題だ。その大事な問題を解決してくれると期待している医師が、初めての遭遇で、自分に背中を向けていたら、患者はどう感じると思う?」
説明を聴いてなるほどと強く感動し頭の中の記憶の倉庫にきっちりと収納したから、いまでも鮮明に思い出せる。
後年、アメリカに移ったあと同僚の教授たちのオフィスを覗いてみると、デスクは全部入り口に向かっているのに感心した。
それと正反対に、ニッポンの病院では、医師のデスクは壁に向けて置くのが常である。目の前の壁にレントゲンのフイルムに目を通すためのスクリーンが掛かっているから、というのがその理由だ。患者よりもレントゲンフィルムのほうが大事なのかという議論が生まれる。だが、その議論は別の機会に残して置くことにして、ハナシを進めよう。
患者がオフィスに入ってきても、医師の視線が反対の方向を向いていると、患者はどんな第一印象を持つだろう。小ばかにされたと思うのが正解だろう。患者から信頼を得るのは困難だと思うべし。

患者とは視線を外す位置で

「患者の座る椅子は、キミのデスク越しに真向かいになるような配置にしてはいけない。なぜか判るものはいるか?」
Dr. フォーセットの次の質問に、ニッポンの医学部を卒業したインターンはなかなか答えられないのだ。まるで回答不可能なクイズのようなものだ。
「いいかい。デスクを間にして真正面に向かいあうのは、刑事が容疑者を取り調べるときの位置関係だ。患者が他人には絶対に言いたくないことでも、医師は知っておかねばならぬことがある。そんな場合、真正面から向き合って互いの視線が一致していると、打ち明けにくい。だが、視線のアラインメントが外れていると、気持ちの上では大いに楽だ。だから、患者の椅子は医師のデスクの左右どちらかの側面に置くのが正しい。この配置だと、互いの視線を衝突させずにすむのは判るだろ」
Dr. フォーセットは、噛んで含めるように言って聞かせてくれる。
こんなことは卒業前の医学部では誰も教えてくれなかった。
ニッポンの医学部教授は、自分は背もたれ肘掛つきの回転椅子に踏ん反り返り、患者を背もたれもない丸椅子に座らせて平気でいる。人の心を慮る教育ができないのは、患者はあくまでも医者より一段下の人間と見做しているからだ。
後に米国に活動の場を移して、外科教授として勤務したアイオワ大学病院では、逆に患者を豪華なイスに座らせ、われわれ医師は粗末な丸椅子に掛けるのが院内の慣わしだった。

雑談が出来れば一人前

「患者に椅子をすすめたら、いきなり病気のハナシに入ってはいけない。その前に、まず身の回りの雑談から入ることが大事だ。
たとえば、雨降りの日なら、『遠路はるばる雨の中を大変でしたでしょう』という気配りをする」
インターン一同が聞き入っていると、
「外来診察がはじまるまえに、今日の予定患者のカルテに目を通して、各患者の住所を頭のなかにいれておく。患者の住まいが郊外なら、『お宅の近くは緑が多くていいですね』 
街中なら、『にぎやかでいいですね』という会話から入っていく。
そうすると緊張がほぐれて、あとにつづく会話が滑らかになる」
医療は医学知識と技術だけに頼って、悪い病気を除去する術をマスターすればいいというものではない。
病気を持っているのは人間だ。それぞれ違った感性と感情をもつ患者を相手に正しい診療行為を行うためには、患者一人ひとりの気持ちを別個に掴まねばならぬ。
各自の気持ちへの気配りが出来て、はじめて人を診る医師といえるのだ。
ヨコスカ米国海軍病院でDr. フォーセットから教えてもらったことは、その後、アイオワ大学で医学生達を教育する教壇にたったとき、どれほど役にたっただろう。それほどにありがたい教えだった。
今、ニッポンのあらゆる分野で若い人たちの接遇術が問題視されているが、半世紀まえの1960年代の日本では、若者に接遇術を口にする指導者は存在しなかった。
今の時代、「患者」を「患者さま」と呼び替えるのがファッションだ。この気色悪い呼び方をされて、満足する患者がいるとすれば世も末である。人と対処するいかなる場合でも、マニュアル化した言葉を暗記してオウムのように反復すればいいという局面はない。相手の気持ちを思い遣り、尊敬により信頼を築きあげながら、自分自身の言葉で話すことが大事なのだ。
それが自在に出来るようになりたければ、縦書きの本を沢山読むことを勧める。

(2008年6月1日付 イーストウエストジャーナル紙)