ヨコスカ米国海軍病院インターン物語(8)
世界一ケッタイな患者

軍隊というところでは、シャバの常識では想像もつかぬことがしばしば起こる。
外来クリニックで患者を診ていると、奇想天外の出来事にでくわした。
生涯二度と診ることはないと思われる珍患者に出合ったのは、神経内科に配属されていたときのことだった。

神経内科

いきなり余談になるが、神経内科というのは、文字通り神経の内科的な病気の診断と治療を担当する分野である。
ところが1963年当時のニッポンでは、神経内科は精神の異常を診断治療する精神科と併せて、精神神経科と呼ばれていた。この二つの科を併合することには、医学的見地からみても明らかに無理であったが、都合にあわせて矛盾に目をつぶるのは、ニッポンの役所の得意とするところだ。

精神神経科

うつ病や認知症、それに心因症などの診断治療は、精神科の仕事である。一方、脊髄の変性疾患や坐骨神経痛の治療は、神経内科の分野だ。この二つの専門分野を一つの科にはめ込むことは、たとえていえば、稲作の水田にトマトを植えるようなものだ。精神科と神経内科が分離し、稲は田んぼでトマトは畑で栽培されるようになるまでには、かなりの年月を要した。
その間、神経痛のような神経内科的疾患に苦しみながらも、精神神経科を受診すると、近隣から精神病者と見做されるのを恐れて、受診を拒む人も珍しくなかった。

懐かしの花柳科

余談ついでに、同じような経緯をたどった科名を挙げると、筆者がまだ医学生の頃、皮膚泌尿器科と呼ばれた科があった。この科はのちに皮膚科と泌尿器科に分離したのだが、巷では別名、花柳科と呼ばれていた。
皮膚科と泌尿器科が水と油ほど違うのは、今なら子どもでも判る。ところが半世紀前の医療行政はこの二つを融合し皮膚泌尿器科と呼んだ。そのワケを解説してみよう。
梅毒は感染して3ヶ月を過ぎた頃、バラ疹とよぶ特有の皮膚所見がみられる。皮膚にバラの花が散ったようにみえるバラ疹を診るのは皮膚科医である。一方、淋病に罹った人は1週間以内に尿道の炎症を起こしてペニスの先から膿が出る。淋病の尿道炎を治療するのは、当然のことながら泌尿器科医である。
ここからが屁理屈の真髄だ。
梅毒も淋病も、ともに花柳界の花街で遊んだ結果罹患する性病だから花柳病と呼ばれた。
ここからが面白い。
梅毒も淋病もともにエッチによってうつる花柳病だから、それを治療する科は、二つ併せて皮膚泌尿器科にしてしまえ、という理屈がまかり通って、そう呼ばれるようになったという。
こんな詭弁でものを決めても、どこからも文句が出ないで済んだおおらかな時代ではあった。

花街はカガイかハナマチか?

余談ばかりが続くが、先日テレビのアナウンサーが花街をカガイと呼ぶのに出くわし仰天した。広辞苑を開くと、確かにカガイも載っている。だが花街はハナマチと言うほうが耳ざわりがよい。「ハナマチの母」という演歌の名曲が「カガイの母」ではさまにならない。
念のためにと角川新国語辞典を引いてみると、不思議なことにハナマチは削除されている。そういえば、これもこの間、南氷洋(ナンピョウヨウ)をミナミヒョウヨウと読んだ女性アナウンサーがいた。女子アナが、他人様(ヒトサマ)をタニンサマと読むのも聞いたことがある。
中央卸売市場は、20数年まえにニッポンを離れたときには、たしか中央卸売イチバといっていた。これをいつのまにか中央卸売シジョウと呼んでいる。「市場(イチバ)で晩のおかずに鰯のてんぷらを買う」というところを、「シジョウで晩のおかずを買う」というと、鰯のてんぷらを株屋で買うような気がするではないか。
言葉というものは、世につれ時代につれて変わると承知してはいるが、それほどに変える理由があるのか。あるならその証拠を示してみよ。
美しい日本語をみんなに示す役割を期待されているアナウンサーが、あまりにもオカシなニッポン語を使って平気でいるのは尋常でない。このまま進んでいくと、たとえば、「原子力」をハラコカと読む女性アナウンサーが現れても不思議はない。
そのときがきたら、腹の底から笑い倒してやろうと、密かに期待しているところである。

世界一ケッタイな珍患者

大変遠回りしてしまったが、ハナシをヨコスカ米国海軍病院の神経内科に戻そう。
或る日、外来受付に基地高官の奥方と称する女性から電話がかかり、ジョンだかトムだかが、腰が立たなくなったから診てほしいというリクエストの予約を受け付けた。予約をうけた衛生兵は、多分、息子がスポーツのしすぎか何かでそうなったのだろうと想像しながら、手順どおり診察予約を受け付けた。
さて、診察の当日、訪れた患者をひと目見てスタッフ一同仰天した。高官夫人の腕にだかれて来たのは、なんとペットの子ザル。
「お門違いじゃございませんか。ここは人間を診る海軍病院ですよ」
と言って引き取ってもらおうとしたところ、診察室から飛び出してきた神経内科医長の海軍中尉殿に止められた。中尉殿は、無体にも、この珍患者を受け付け手順どおり病歴をとって診察しろという。

26歳のインターンの未熟な心は、「アホらし。毎日の患者の診療は真剣勝負だと思えと教えているくせに、こんな猿芝居をマジでしろとは何事ぞ。納得できない」と謀反を起こす。
亭主に下った最高司令部の命令とは言え、生まれ育った国を離れて、東洋の異国のなかにポツンと鉄条網に囲まれて隔離された基地暮らし。
地位上昇志向人間の亭主は、本国恋しさ、心細さに耐えかねているオンナごころを理解するはずもなく、一人寂しさを紛らわすため、のべつ幕なしにバーボンを飲みつづける。
生きがいといえば、ただひとつ。
酔っ払いでダメなママでも、つぶらなひとみに愛しさを込めて見上げてくれる最愛のモンキーちゃんがいるから、今日も生きていける。
こんなウラ事情に想いを馳せることが出来るのも、数々の人生を眺めながら70年も生きてきたからこそ。26歳の当時では、ただただ、酒臭いママに腹を立てるだけだった。

中尉殿のこわばった表情を見ると、これにはウラになにかワケがある、ここは命令に従い事態がどう発展するかみるべし、と決断し、型どおりに腰の抜けたモンキーちゃんをあやしながら診察をはじめた。
「どうしたの?どこが痛いのかな?」
と病歴をとりはじめると、ママが替わりに答えてくれる。
「ちょっと診せてちょうだいね」
診察をするフリをする。
ママの高官夫人は、真っ昼間というのに吐く息がモーレツにバーボン臭い。あまりのアホらしさに、噴き出しそうになるのをこらえながら真似事だけの診察を終え、母子ならぬママとモンキーを中尉殿の診察室に案内した。
中尉殿は、ろれつのまわらぬキッチンドリンカーの高官夫人を相手に、大真面目な顔で病歴をとったあと、子ザルの小さな胸に聴診器をあてて診察をする。モンキーちゃんの肘や膝の関節をハンマーでたたく仕草はプロの技。さすが専門医資格を取得したホンモノの神経内科医だ。
これが本当のサル芝居だなと思って見ているうちに、診察を終えた中尉殿は、これ以上はないという深刻な表情で、
「診せていただいたところでは、あまりよくありませんね。診断の結果はのちほど書簡にしてお宅あてに送ります」
と告げるのだった。
肩を落としたアル中夫人が子ザルを抱えて、ドアの向こうに消える。
緊張から開放された中尉殿と眼が会う。
わっと吹きだした二人は、5分間も笑いが止まらなかった。

女帝には勝てぬ

亭主が権力を持つと自分まで女帝になった気分になるオンナは、どこの世界にもいる。取り巻き連中は、蔭ではボロクソにけなしながらも、面と向かうと祟りを怖れて逆らわぬ。
それをいいことに、愚かなおんなは、このワタシにはそれだけの力があるからだわと有頂天。ここまで病膏肓に入ると、目は見えず、耳は聞こえず、思考は停止。
女帝は常に孤独で寂しい。その寂しさを紛らわすため、キッチンでバーボンをあおる。独り酒場で飲む「悲しい酒」と通じるものがある。
反対に亭主の権力増大に反比例し謙虚さが増す奥方も世間にはいる。おなじ女帝でも、こちらは人気絶頂疑いなし。

中尉殿、今はいずこに?

中尉殿のハナシによると、診察の前夜、アル中夫人から宿舎に電話があったという。なんといっても相手は高官夫人だ。横車的リクエストを拒絶するには相当の根性が要る。
中尉殿はしばし葛藤したのち、院内に波風立てぬため、珍患者の診察を承諾したのだという。
「中尉殿がアメリカ本土の民間病院に勤務しておられたとして、市長や議員など町のビッグショットの奥方がペットを診てくれとゴネ押ししてきた場合、モンキーちゃんをよろこんで診察されるのでありますか?」
「そんなバカな。これは海外の基地という特殊社会ゆえの特別サービスだよ。モンキーちゃんよりも、海外基地暮らしの淋しさに耐えかね、キッチンでバーボンをあおるママを救うことが出来れば、というのが本音で決断したまでさ」
この中尉殿はもうとっくに海軍も神経科医も引退している筈。
半世紀にわたってまったく音信不通だが、ひょっとするとホノルルでのんびり暮らしているかもしれない。
出来れば、一度会ってみたいものだ。

(2008年8月1日付 イーストウエストジャーナル紙)