ヨコスカ米国海軍病院インターン物語(10)
点滴ビンを揺すれ

「おい、キミ、この試料を検査室に持っていってUAをスタットでやってくれや。検査室は中央ローカをわたった向こう側だ」
いつもより比較的ヒマな夜、救急外来で先輩インターンに呼び止められ、ビーカーに入った生暖かい麦わら色の液体を手渡された。
この試料が尿だとは、つい2・3日まえまで学生だったわたしでも見ただけでわかる。
UAというのはアメリカの病院業界用語で、尿一般沈査試験のこと。
尿中に糖や蛋白は出ていないかを調べたあと、遠心分離機にかけて試験管の底にたまった固形成分をとりだし、ガラス板のうえにひきのばして、赤血球、白血球、上皮細胞などを観る。
スタットは「今すぐ」という意味だ。
テレビの「ER」という番組を英語バージョンで見ていると、スタットという言葉が頻繁に出て来る。それほどに、ER(救急外来)では「今すぐ」という処置が多い。
「ラジャー(了解)」
習い覚えたばかりのネービー業界用語でかっこよく応えて、ビーカーを手に検査室に小走りで向かった。

ジョブディスクリプション

競争率6倍という難関だったヨコスカ米国海軍病院インターン採用試験に合格し、胸膨らませて基地のゲートをくぐった1963年当時、尿検査のような簡単な検査は当直インターンの仕事だった。あれから半世紀近く経ったいまのアメリカの病院では、検査はすべて検査技師が受け持つ。スタッフであろうとインターンであろうと、ドクターは検査に一切手出しをしてはならぬという院内規約がある。
他部門の職域を侵してはならぬというきびしい職種仕分けが守られているのだ。こんな環境でちょっと気を利かせて、あるいは手助けとして、自分の領域以外の仕事に手を出すことは固く禁じられている。
場合によっては、検査技師資格のないドクターによって不適正な検査をされたことは患者の権利の侵害だと、医療訴訟を起こされる可能性を秘めている。訴訟になると病院は監督責任を問われ、敗訴すれば何億円という賠償を取られる。
ニッポンのある病院で、ドクターが患者からの予約電話の受け付け業務をしている現場を見たことがある。また、受診にきた患者のカルテを、保管庫から出し入れするのもみた。およそ医師としてのジョブとは程遠い雑用をさせられている診療現場をしばしば見かける。
手術が長引くと、勤務時間が終わったからといって帰宅するナースのかわりに、ドクターが手洗いして道具出し係のナースの仕事を受け持つ場面も経験したことがある。
それもこれも、病院経営のシロウトが責任者になると、こんな結果を招くという実例である。

思いもかけぬ訴訟理由

余談になるが、今の時代、どんなにつまらない理由で医療訴訟を起こされるか一例を紹介しよう。
カリフォルニアの小児病院で、そけいヘルニアのある学童が夏休みに小児外科医の手術を受けた。
ソケイヘルニアという病気を説明すると、終末胎児期まで腹腔の背中のほうに位置していた睾丸が、陰嚢ないにすべり出る際、腹腔内のすべての臓器を覆う腹膜という膜をひっぱって降りてくる。睾丸を覆う腹膜の袋は、その入口が自然に閉塞し、腹腔との連絡を絶って、陰嚢のなかで落ち着く。ところが袋の口が閉じないままで生まれるこどもが20人に1人ぐらいの割合でいるのだ。開いたままの袋のなかに、腸や卵巣などが入り込むとソケイ部がふくれてヘルニアが発見される。ヘルニアを放置すると不快感があり、袋の中にはまり込んだ臓器がしめつけられて痛い。学童期の集団生活がはじまると、他のこどもと比べて自分の異常に気づき、性格が内向的になるという不都合がある。
小児外科医の仕事の半分は、ソケイヘルニアの手術である。熟練した小児外科医の手にかかれば、20分ほどの手術で根治する病気である。
さて、こどものヘルニア手術は成功し、二度とヘルニア悩む心配はなくなった。それまで家にひきこもりがちだったこどもが、外で友だちと遊ぶようになり、両親をよろこばせた。
ところが、この子は新学期を迎えると、クラスでの成績ががくんと落ちてしまった。両親は学業成績の低下は、夏休の間にしたヘルニア手術のせいと信じて、手術した小児外科医を医療過誤で訴えた。わたしの推察では、ヘルニアから開放されたこの子どもは、トモダチと存分に遊べるようになり、その分だけ勉強しなくなった。その結果成績が下がったのだろう。何事も他人のせいするのがヒトの常。訴えられた小児外科医は「成績の低下が手術のせいではない」ことを立証する義務を負わされが、証明できる筈もなく敗訴した。
ニッポンの病院では、些細な不満を我慢できないで、医師やスタッフに対して暴力事件を起こす患者が急増している。
「困難な手術が上手く運んでよかった、患者も喜んでくれるだろうと秘かに満足感に浸っていると、『傷跡が汚いやないか。どうしてくれる。訴えたろか』とねじ込んでくる患者がいるのです。がっかりして、外科医を止めたくなりますよ」
友人の外科医は肩をおとす。
自分に関しては完璧主義をとおし、他人に対しては憐憫のかけらも持たぬ人間が増えている。日本でも理不尽な医療訴訟が急増するのは時間の問題だろう。
そのときになって、まわりに外科医がいなくなって困るのは誰かを考える時ではないのか。

検査試料は紅茶

ハナシを海軍病院に戻そう。
ビーカーの液体に検査用紙を浸してみると、糖分は強陽性だが蛋白はゼロ。遠心分離機にかけて、試験管の底にたまった沈査を顕微鏡で観察しようにも沈査がない。
これはおかしい。
検査を命じた先輩インターンに尿にしてはつじつまが会わぬと報告すると、
「その通り。渡した試料は、実は呑みかけの紅茶だったのだ」
といわれて唖然とした。
「去年、新入りのとき先輩にやられたことを、今年キミに申し送っただけだ。これは海軍病院の伝統だから悪くおもうなよ。腹が立ったら、来年の新入りインターンに申し送ってくれ」
だと。
言うまでもなく次の年、新入りインターンにきっちりと申し送った。
1960年代は、今とくらべると世間全体が寛大だった。いまこんなワルサをすると、新入りインターンの中にはマジで訴訟を起こすものもいるだろう。
せち辛い世の中になったものだ。

点滴ビンを揺すれ

海軍病院で4月1日から勤務に就く新入りインターンは、2週間ほどまえの3月15日から院内に住み込み、3月末で研修を修了する先輩インターンについて仕事の要領を学ぶという仕組みになっている。
二人部屋の本来のインターン宿舎には、まだ先輩インターンが寝起きしているから、新入りインターンが使うことはできない。16名の新入りインターンを寝起きさせるため、急遽閉鎖中の将校用の病棟を開いて衝立で書割り、ベッドを並べて急場しのぎの宿舎が作ってあった。
真っ白なベッドのシーツのうえに洗濯したてのパジャマがきちんとたたんで置いてあったのが強く印象に残って、50年を過ぎたいまでも忘れられない。

それから1年が過ぎて、こんどは先輩インターンとして新入りインターンにあれこれ教える番がきた。
「今日は点滴の仕方を教える。まず輸液瓶の表に貼り付けてあるIDラベルと患者の腕に巻かれたIDタグを照合し、病院番号、氏名、性別、生年月日が一致しているのを確かめろ」
いまは世界中どこでも、輸液の容器にはビニールのバッグを使っているが、1963年当時は、まだガラスのビンが使われていた。
「つぎに輸液ビンを支柱に吊るす。高さは患者から約1メートル。輸液ビンのゴム栓に点滴セットの針を差込み、点滴チューブ内を輸液で充満する。その際、ベントの注射針を刺すのを忘れないこと。これを忘れると、点滴が途中で止まってしまう。
次に、患者の左右どちらでもいいが、上腕部にゴム管の躯血帯をまいて、浮き上がってきた前腕の皮下静脈を指先の軽いタッチで探る。いいか、このタッチの感覚は、デートのとき彼女の○○○○に触れるのとおなじぐらいデリケートなタッチでやるのがコツだ。
ここぞと思う静脈を見つけたら、その上の皮膚を半径1インチ(2.5センチ)の円形を描くように、70パーセントのエタノールで消毒する。利き手の親指と中指で注射針を保持、人差し指で方向をコントロールしながら、静脈内にゆっくり刺入する。この際、反対の手を患者のひじの後ろにあてて、腕をしっかり固定する。針が静脈に入ると、血液が逆流してくる。そこで、針をもう一押し前にすすめ、患者の腕をつかんでいる手の親指で針の入っている部分をしっかり押さえ、針が抜けないようにしておいて、利き手で躯血帯をはずす。つぎに、利き手でバンドエイドをとって、刺入部を固定する。それがすんだら、点滴の速度を調節する」
点滴の仕方ひとつを説明するのに、これほどの言葉数を費やさねばならぬとは、この稿を書いてみてはじめて知った。
点滴でこれほどの字数なら、手術となると簡単なものでも、その手順の解説には軽く10ページを費やすことだろう。
処置や手術は手順書をみながらするわけにはいかぬ。火災の現場で消火ポンプの使用手引書をみながら操作できないのと同じだ。
医療の現場で処置の手順を間違えると命に関わることがある。いまふと気づいたが、過去40年間に覚えた何百という処置や手術の手順を今でも全部暗記していて何時でも使えるということは、素晴らしいことではないのか。このまま患者に用立てることなく、南洋の絶海の孤島で朽ち果てさせるのは惜しい気もするが、もう診療の現場には戻ることは絶対にない。

新入りインターンは教えた手順どおり点滴を終了した。そこで恒例の特別指導の始まり。周りを囲むナースも衛生兵もこの時がくるのをいまかと待ちわびている。
「よーし、よくやった。君の点滴手順は完璧だ。だがな、よく聴けよ、お若いの。ひとつ言い忘れたことがある。点滴のビンは詰所の倉庫で眠っていた間ケースのなかでは立っていたわけだ。するとどうなる?中身のブドウ糖はビンの下に沈殿するだろ? だったら点滴ビンを支柱に吊るしたあとで軽くゆすって中身を均等に混ぜてやる必要がある。どうだ、この理屈、お判りかな?」
「はい、よく判ります」
「だったら、やることは判るだろ? さあ、早く戻って点滴ビンを揺すってこい」
「はいっ」
元気イッパイの返事とともに点滴ビンを揺する姿をみて、その場にいるもの皆、笑いをこらえるのに苦悶する。たかが10%ほどのブドウ糖が何年経ってもビンの底に沈殿するワケはない。理屈では判っていても、先輩にいわれると真実に思えるのだ。これが実学と理学の違いだろう。
真剣な顔つきで点滴ビンを揺する新入りインターンを見ながら、ちょうど去年の今頃、点滴ビンを揺すったオレは純情だったなと感傷にふけるのだった。

(2008年10月1日付 イーストウエストジャーナル紙)