アラスカ縦断と豪華客船クルーズの旅(4)

第3日目:続プルドウベイ出発

午前8時。オンタイムにカリブーインのスタッフ全員に見送られて出発したバスは、再び石油基地に舞い戻る。立ち寄ったのはプルドウベイ唯一の2階建てデパートだ。
「皆さん、これから先、明日の夕方フェアバンクスに着くまでの36時間は生活必需品、スナック、ドリンクなどが欲しくなっても、店もなにもない原野の旅です。必要なものはすべて、ここで買っておいてください。」
チャックの心遣いだ。

ショッピングも終わり、トイレも済ませ、いよいよ石油基地を出たると、バスは一路南に向かう。昨晩から出っ放しの太陽が目に痛い。ここからコールドフットまでは250マイル(約400キロ)。途中サービスエリアは一切なしという看板が、ただのドライブでないことを物語る。

出発して2時間ほどは全くの平地。地平線まで樹木は1本もない。
「このあたりはまだノーススロープの一部ですが、地元の人間は、プルドウベイをふくめてデッドホース〔死に馬〕と呼んでいます。
〔死に馬〕という地名の由来には、余りの寒さに連れてきた馬がバタバタ死んだからという説をふくめた幾つかの説がありますが、わたしが一番気に入っている説を紹介しましょう。
プルドウベイに石油が出たと聞いて、一攫千金を目論んだ若者が石油探査を始めたのですが、成功をみないまま資金不足に陥り、裕福な父親に手紙で援助を頼みました。親父さんはそんな辺地で油田を探すのは、死んだ馬を蹴って、さあ立ち上がって馬車を引っ張れとけしかけるに似た無駄の極みだといって、援助を断ったそうです。それがこの地を〔死に馬〕と呼ぶようになったワケだそうです」
チャックの語り口には、明確な言葉といいハナシの間といい、聞くものをして、なるほどとうなずかせるタレントの業がある。こんなストーリーを〔死に馬〕平野を走っているバスのなかで聞くと、ホントに聞こえるから不思議だ。

初めの100キロぐらいまでは、なだらかな丘の谷間に凍りついた残雪が残っていた。あたりに樹木は一本もない荒野である。
銀色に光るパイプラインと並行して、永久凍土に1.2メートルほど盛り土をしただけの未舗装交互2車線の道路が南に伸びる。すれ違うのはコンテナートラック、タンクローリー、ダンプカーなどのみ。昨夜の雨でところどころぬかるんでいる。すれ違う対向車は、派手に泥を跳ね上げる。出発時にはキレイに磨かれていたバスの窓も、たちまち泥に遮蔽されて景色がみえなくなる。
チャックは溜まり水を見つけるとバスをとめ、用意してきた長い棒ずりとバケツを引っ張り出し、窓をふいてくれる。
「道路の土を固めるために塩化カルシュウム溶液を撒いているところは、これほどぬかるんでいないのですがね」と言い訳をする。
狭い交互通行の道路で、対向車がくるたび路肩によって最徐行を守るチャックの運転は、800キロの道程で乗客にいちども恐怖を感じさせなかった。

「半マイル先で、ひ熊が道路を横切っています」
なるほど、豆粒のような点が右から左へと移動している。
「まだこどもですね」熊はパイプラインの下をくぐって、丘の麓に消えた。
間をおかずチャックが解説してくれる。
「左3時に方角を見てください。湖にムースが入っています」
平べったい角をしたオスのムースが、湖の浅瀬で身体半分を水に漬けている。
ムースは鹿やトナカイと同類だが、身体は倍ぐらい大きい。
「あの湖の水は冷たかろうに。ムースは水浴などして冷たく感じないのかね」
グループの1人がチャックに尋ねる。
「冷たいですよ。沢の雪が昼間の太陽で溶けて流れ込むのですから、北極海の水と同じぐらいの温度でしょう。ムースやカリブー(となかい)は、零下50度の極寒を野外で耐える動物ですから、寒さには強いのです」
そういえば、石油基地内でも数頭のトナカイが群れているのをみた。ドライバーのハナシでは、つい1週間ほどまえに、2千頭を越えるトナカイの群れが、パイプラインのあちこちに作られた原生動物横断用の通路を通って、移動していったという。この通路のある地点では、カリブーたちが安心して横切ることが出来るように、パイプラインは数十メートルにわたって地中に埋められている。

パイプラインの内径は丁度1メートル。
この中を摂氏60度に温めた原油が1,300キロ南の太平洋に面した積み出し港までの長旅をするには、いろいろな工夫が凝らしてある。
極寒のアラスカでパイプのなかの原油が冷えると粘度が増して流れが悪くなる。石油基地を出発したときの60度の温度を維持するためには、パイプラインを全長にわたり厚さ10センチの断熱材で包み、その外側をステンレススチールの鉄板で包んで密閉してある。だからパイプそのものの外径は120センチだ。

パイプライン保護のため、数キロ範囲の地域内では如何なる銃も発砲が禁じられている。
「運悪く熊に出会った場合にはどうするのかね?ハンターが銃を手にしていると撃ちたくもなるでしょうに」
「パイプラインはアラスカ州の生命線とも言うべき資産ですから、物見遊山の狩猟や毛皮採取が目的の人間には、地域内への立ち入り許可は出ません」
「われわれは物見遊山だけど、どんな資格で?」
「プリンセスクルーズの監督の下に、限定範囲内での行動という一札をいれて許可を貰っています。つまり、この地域を旅する間、わたしが皆さんの監督をおおせ仕っているというワケです」
チャックはおどけて胸を張ってみせる。

石油基地から高圧をかけて送り出された原油も、長旅の途中では圧力が低下して高速で流れにくくなる。ほぼ100キロごとに巨大な加圧ポンププラントが設置されていて、取り込んが原油に強圧を加えて再びパイプラインに送り出している。

パイプラインは特殊な支柱で、地上3~6メートルの空中に懸河されている。地上に置くと重さで下の凍土が溶け、やがては地中に埋もれてしまうという。ほぼ10メートル毎に立っている支柱は、直径50センチもある鉄の柱2本の間に梁を渡し、その上にパイプラインを載せている。梁とパイプラインの接点にはローラーやスリッパが使ってあって、パイプラインが温度変化によって自由に伸縮できるようになっている。

支柱は地下3~4メートルに打ち込んであるが、その先端は凍土に刺さっているので、荷重により凍土の氷が溶けてどんどん地中にめり込んでいく。それを防ぐため、支柱の中のパイプに液体アンモニアを循環させ、凍土と接する先端部分をつねにマイナス数十度に保ち、凍土が溶けない工夫がされているのだ。

1,300キロものパイプラインをわずか5年間で、アラスカの原野に敷設するという超突貫工事をやり通したことは、現場を目にすると驚異としか言葉がない。極寒のノーススロープは勿論のこと、険しい岩山の急勾配を登り降りしているパイプラインをみると、その建設作業は人間技とはおもえない。

「当時は全米から溶接技術者がアラスカに集まりました。報酬は通常の数十倍ですから、他の州には溶接工が足りなくなって困ったそうです。平地での溶接作業はラクでしたが、岩山の絶壁で宙吊りになりながら、クレーンに吊り下げられたパイプを溶接する作業はとても難しく、高額の報酬を提示しても名乗り出る者がいなくて、工期が遅れそうになりました。ひとつ間違うと命を落とす仕事ですから無理もありません。決死の覚悟で志願した技術者が居なかったら、パイプラインはとても開通しなかっただろうといわれています。35年前の彼らはホントウの英雄でした」
チャックの説明はよく判る。

それにも増して、総延長1,300kmにおよぶ直径1メートルのパイプとその付属品一切を納期に間に合わせたニッポンの製鉄業界は大変な事業をやり遂げたものだ。1本が10メートルとしても13万本を超える高品質のパイプを製造納入したニッポンの技術がなければ、溶接技術の英雄が何百人いたってパイプラインは画餅にすぎない。当時、ニッポンの男たちには昭和の意気込みがあったからこそ、この大仕事をやり遂げることが出来たのだろう。ニッポン製のパイプラインが30余年を経たいまも、米国のエネルギー補給に貢献しているとおもうと、ニッポン人はもっと胸を張って誇りとするべきだ。ツアーに参加したアメリカンの胸の内とは別に、独り秘かな想いは昭和のニッポンに飛ぶのだった。

未舗装の400キロを9時間かけて走り通すバスの旅の途中には、サービスエリアは一切なし。バスの後部にはトイレが設置されているが、これはあくまで緊急のためのもの。60人が常時使えば、タンクはすぐ一杯になってしまう。だが9時間も排泄をガマンすることは人間の生理に反する。
「トイレに行きたくなったら、言ってくださいよ。どこの道端にでも停めて差し上げます。男性は道路の対向車線の向こう岸、女性は降りたところのすぐ右側の道端がそれぞれのトイレだと思ってください。この原野では通行人はゼロですから、誰かに見られる心配はありません。カリブーかムース、たまにヒ熊に見られて恥ずかしいと思う人は別ですが」
グループの女性たちのなかで、これをジョークととらない人がいた。「あたし、死んでも道端でなんかで用は足さないわよ」だと。
アタマの固い人がいるのは、ニッポンもアメリカも同じ。

「さて、お待たせしました。ここでトイレ休憩にしましょう」
チャックは車内にアナウンスするとバスを広場に寄せて停めた。
小高い丘のうえに、2メートル四方のコンクリートの建物があった。
世界共通の男女のトイレマークがついているから、トイレなのだろう。あたりを見回してみても、人家らしきものは全くなし。
「このトイレは水洗ではありません。手洗いの水もありません。トイレットペーパーだけは十分ありますからご心配なく。貯め式ですが排気は十分ですから臭くはありません。順番にどうぞ」
チャックの言葉が終わらぬうちに、トイレの前に10人ほどの行列ができる。番がきて中に入ってみると、重い鉄の扉があるだけで窓は一切なし。
コンクリートの床に大きな穴が開いていて、そこに洋式のトイレが載っているだけだった。穴は深い。室内の空気はすべてこの穴に吸い込まれて、効率のいい通気孔から吸い出される仕組みになっている。臭気が全くないトリックはこれだと判った。
用をすませて手を洗わないと落ち着かない。こんなことならウェットティッシュを買ってくればよかったと反省しきり。チャックは手指消毒用のローションを使わせてくれた。こんなものでも、気は心だ。すこしは気休めになる。

トイレに並んでいる間に気付いたのだが、ニッポンの真冬の気候のアラスカに、1匹が2センチ大の蚊がごまんといてまとわりつく。バスの中にも開け閉めする乗車口から数十匹の蚊が侵入し、車内はひと騒動。
チャックはあわてもせず、テニスラケットを小型にしたような道具を持ち出し、蚊退治を始めた。ネットに蚊がふれると高圧電流が流れて瞬時に蚊の丸焼けができる便利な道具である。

トイレから1時間ぐらい進むと岩山が見えてきた。地図ではこのあたりからブルックス山脈に入り、標高2,500メートル位の峠を越えて平地に降りたあたりが今夜の宿、コールドフットの筈だ。

チャックはバスを道端の退避エリアに寄せ、ここでランチだという。
バスの床下にある貨物室からランチボックスの箱をとりだし道端に並べる。ときをまたず、またもや、蚊の大群が襲い掛かってくる。
ランチはターキーブレストのサンドイッチ、リンゴ一個、ポテトチップス、クッキーだった。

再び縦断道路を走る始めるとぬかるみの悪路が続く。今朝方降った雨のせいだ。山中に入ると急勾配を登りにかかる。曲がりくねって滑りやすい坂道を、北行きのトラックやタンクローリーが猛スピードでくだってくる。その都度バスを炉端に寄せて道を空けてやる。
齢18年目の中古バスとともに運命をチャックにあずけたツアーの60名は、宿への到着が少々遅れようとも、だれも文句はいわない。
安全第一のチャックに賛同するストックホル症候群のような、妙な心理が車内を支配していたのは、だれも否定しなかった。