医者は人生を楽しいものと信じるべし

「センセは、医者にとって一番大事な心構えは何だとお考えですか?」
先日、某国立大学に招いてもらい、医学生に授業をしたあとのパーティーでの立ち話。医学生の一人からこんな質問をもらった。

「人生は楽しい生きるに値するものだと信じることだね」

「それはどういう意味ですか?」

「生きていることは素晴らしい、人生は楽しいものだと信念をもって過ごしている人は、医者だけに限らず、表情は活き活きしているし、動きは軽やかで、見るからにダイナミックだ。その姿が、病気で落ち込んでいる患者の生きようとする力に、大きなインパクトを与えるんだよ」

「そうでしょうね。臨床実習で、過労のあまり疲労困憊しているドクターの姿をみると、ボク達学生でも気分がめいります。まして、疲れてだらけた態度のドクターから治療を受ける患者さんは、たまったものではありませんね。人生活き活き、理解できます。」

「わたしはヨコスカ米国海軍病院でインターンをしたのだけど、そのとき習ったことの一つに、『徹夜の翌朝疲れ切っていも、院内で会った人から “How are you?” と声をかけられたら、“I am fine. Thank you”と元気よく答えること』、というのがあった。疲れきっているのに、ファイン、サンキュー」と答えるのは、気持ちを偽ることにならぬかといぶかりながらも、理由不明のままこの教えを守ってきた。ところが或る日、患者からそのワケを知らされた。
「徹夜仕事でどんなに眠く疲れていても、健康人であるドクターは一晩休めば元気を取り戻すことができていいですね。毎晩寝ても苦痛の取れない患者からみると、回復可能な疲れや睡眠不足は羨ましいかぎりです」
なるほど、言われてみるとその通り。

以来、長時間の手術が終わって、ぶっ倒れるかと思うほど疲れていても、患者の家族にハナシをするときは、背筋を伸ばして疲れを見せないよう、心がけるようにしているというと、
「ウラの真実はそれだけのことですか」だと。

今の若者はこしゃくなセリフを吐く。

日米大学の違い

「貴学の優れた研修医制度を一度見学したいのですが、わが大学は見学を公務派遣扱いにしてくれないのです。そこで相談ですが、今回の私の訪問を貴学からの公式招聘として役所に納得させるため、往復の旅費および滞在費のすべてを貴学持ちで招くというニセ手紙を一通いただけませんでしょうか。勿論、費用は全額わたしが私費で支払いますので、貴学は勿論、センセにも絶対にご迷惑はお掛けしません」

アイオワ大学教授在任中に、こんな手紙を何度も受け取った。「見学を許す側がさせてもらう側の費用負担をしてまで招聘するのは道理に反する。一体何事だ」といぶかるのは日本の役所特有の事情を知らない人。そのウラには哀しいワケがあるのだ。

日本の国立大学教授は、自身の教育学術活動上必要な情報を他国の大学で見聞することが重要と自ら判断してもそれを直ちに実行できない仕組みだ。教授は学内で教育研究に従事するのが本来の任務であり、海外施設見学の是非は当人の判断に任されていないからだ。ところが海外の大学から旅費滞在費支給保証の上で招聘された場合には海外出張が許される。背反する事象を組み合わせて不可能を可能に変える苦肉の策が冒頭に掲げたニセ手紙なのだ。

大学を仕切る文科省の担当係官は、たとえば教授が海外施設訪問中に不慮の事故に遭遇しても、規則に準じた手続きさえしていれば責任を問われることはない。ニセ手紙と判っていても招聘出張許可の書類に判子をついてくれる。
大学の頭上にいる文科省が、教授の学術活動の細部まで手も口も出す日本の国立大学と比べると、米国の大学は学の独立の原理原則を護っている。教授は自身の教育学術活動の是非を自らの判断によって実行する自己完結型の存在である。大学に働く事務官はすべてわれわれ教授の活動を支援するための存在である。

先日ある国立大学から講演を頼まれ喜んでお受けした。だが手続きの途中、担当事務官から、英語でいうとyou must調の文章で、印鑑や預金通帳を持参せよなどいう命令を通達され、直ちにこの招きを断った。

豊饒日本、衣食余って礼節を忘れているのでは?

金沢抒情

冷たい北風と氷雨で明け暮れた4月が終わって、やっと春らしい日差しとなったが、新緑にはまだ程遠い5月初旬金沢を訪れた。ホノルルから国際電話で予約しておいた「ほたる屋」で食事し、駅前のホテルに一泊して翌朝のサンダーバードで大阪に戻る、という単調な旅程の金沢詣でをするようになって、7、8年になる。 

アイオワ大学外科教授をやめたあと、ホノルルに住まいの本拠を構えながらも、1年の半分をニッポンで過ごすようになって10年が過ぎた。春と秋は、大阪の我が家を基地にして顧問をしている幾つかの病院を巡り、大学や民間団体で講演をし、その合間に旧友たちとのゴルフや、大阪の旨いもんめぐりにとち狂うという、多忙なスケジュールだ。その定番に「ほたる屋」の晩飯が加って以来、金沢を訪れずにはホノルルに戻れなくなった。それほどに「ほたる屋」の料理にのめりこんでいるのにはワケがあるのだ。

そもそもの出会いは、古都めぐりを好む家内が一人で金沢を訪れ、ちょうど茶屋町に着いたころ昼時になったので、予約もなしに暖簾をくぐったのが「ほたる屋」だったのだ。カウンター席に座った家内は、料理の旨さと、おんな一人のランチを気持ちよく食べさせてくれた板前氏にいたく感激し、次回には亭主を連れてくると約束して大阪に戻った。

そしてその年の晩秋に金沢を訪れた。花街の風情がのこる石畳の通りの角にある「ほたる屋」で板場を預かる花板のMさんは、ハスキーボイスで人懐こい話し方をする中年男性。威張りもせず卑屈にもならず。そうした人とは長続きする。

ブリ起しという冬の雷で眠りをさました寒ブリの造りやブリ大根などブリづくしが続々と出てくる。どれを食べても旨い。熱燗の金沢の地酒が日本海の海の幸によくあう。芸術のようなその日その日の献立は、前日にMさんが市場の食材を吟味しながら決めるという。これまで同じ料理が出た記憶がないのもむべなるかな。

店の中には200年前に使っていた井戸が残っている。以前は屋外にあったのが増築で屋根の下に入ったという。その水はその気になればいまでも使えるそうだ。壁の一部を斜めにそいで、2世紀もの間に塗り重ねてバウムクーヘンのようになった壁の層を、一目で見られるように粋な工夫がしてある。物言わぬこの壁は、加賀百万石の武士から現代のビジネスマンまでの、いろんな時代の日本人を眺めてきた。もし壁がもの言えるとしたら、今の日本の体たらくを一体何にたとえることだろう。

ドゥアー(Doer)

「いままで一緒にやってきて、ケンはホンモノのドゥアーだと判った。安心して小児外科を任せるから頼むよ」

私事でいささか面映いが、アイオワ大学で小児外科部長に任命されたとき、先代のボブソーパー教授から貰ったコメントだ。ドゥアーは文字通り、適切な判断を直ちに実行に移し全体を最善の結果にみちびく実務者という意味だ。外科医はすべからくドゥアーでないと務まらない。

米国の大学は、部長以上の人選時には全国紙に広告を出して広く一般から公募するのがコンプライアンスだ。幸い幾人かの候補者を退けて小児外科部長に任命されたが、「部長は担当する科の健全財政を維持する責任がある」と就任後に知らされた。着任直後の1年間は私の抜けた外科医のポジションは空席のままだったから、年に600例以上の手術を一人で引き受けざるを得なかった。部下の一人が退職したので半年間にわたって連日当直を余儀なくされもした。だが、それぐらいのことで音を上げてなるものか。平気な顔でやり通さねばアメリカ社会では生存できない。
当直外科医は、病院に10分以内に駆けつけられる範囲を出てはならないというのが規則だ。ゴルフをしていても、携帯が鳴ると中断して病院に駆けつけねばならぬ。だからカートには、いつでも抜けられるように、みんなと別れて一人乗りを常とした。
「スタッフの要求を全部受け入れていたら、科を仕切っていけなくなるぞ。ヒトの思いと科の存立を天秤にかけ二者択一の決断を迫られる時もある。そんな状況では、ためらうことなく科の存立に与するのが長たるものの義務だ。感情移入が過ぎると科は仕切れないと承知しろ」とボブは忠告してくれた。以来、重大な決断では「思い」を忘れることにした。

いまニッポンでテレビや新聞を見ていると、国防という国家にとって最重要課題が議論されている。人々の意見には「思う」という言葉があまりに多く使われる。国家の一大事にこんな情緒主導の議論で対処できるのかとアメリカンの思考は疑問を生む。いまのニッポンに必要なのは、ホンモノのドゥアー最高指導者なのでは?

春まだ遠い大阪 

「近いうちにホノルルを発ってニッポンへ行く予定です」
3月末、大阪のオッチャンに電話で予定を報せた。
「センセは今きたらアカン。ここ当分はハワイに居はったほうがよろし。ニッポンにきたらハラの立つことばっかりで憤死しまっせ」と諌めてくれた。大阪に着いて一杯やりながら、「一体何にハラを立てているのです?」と尋ねてみる。
「政府でんがな。国に莫大な借金があるというのに税収の倍以上の予算を組んで、全国のこども一人に2万ナンボの金をばらまいてますねん。親さえニッポンに住んでたら、おるかおらんか判らん外国人の子どもにまでも支給するんでっせ。おまけに高校生の月謝もタダにするいうてますねん。若者を自立の出けん人間に育てて世間にひりだすようなもんやおまへんか。みーんな元はというとわしらが納めた税金でっせ。これが怒らずにおれまっかいな」
「ばら撒きのほどこしは、それでなくても自己中心的な現代ニッポン人の非自立性を増悪させる愚策です。勿論仮定のはなしですがアメリカでこんな“ばらまき愚策”が実施されたら、納税者による大統領のリコール運動は必至ですな」
「ニッポンは戦争で焼け野原になったあと、ワシら昭和の人間が必死に働いて豊かな国に作り上げたんやおまへんか。それが近いうちに崩壊し消滅するやろと賢い人が他人事みたいに予言してまっせ。テレビに出てくる総理の顔をみるたびに、巨額の脱税をしても言い訳さえ上手にすれば刑事罰から逃れられるんや、ニッポンは正直者がバカを見る国になってしもたと思うと、嫌悪感がつのって気分が滅入るんですわ」
脱税を善良な市民に対する敵対行為とみなすアメリカでは、数万円の脱税でも懲役刑。10億円だと懲役20年が相場だという。
こんどニッポンでは、飲むたびにみんなから悲観的展望と愚痴を聞かされる苦い酒。閉塞感はあっても、まだ楽しい酒だった去年の暮れと大違いだ。オッチャンが「いまきたらアカン」といってくれたワケがこれで判った。
ハワイに留まっていたほうが、憤死する心配もなくてよかったかな?