Profile

木 村   健 (キムラケン)
1937年 広島県に生まれる

神戸医科大学(現神戸大学医学部)卒業(1963)。 ヨコスカ米国海軍病院でインターン修了後(1963)神戸大学第二外科を経て 兵庫県立こども病院外科に就職(1970)。在職中にボストンフローテング小児病院小児外科チーフレジデントとして1年間留学(1972-73)。帰国後、兵庫県立こども病院外科部長に昇任(1973)。神戸大学から医学博士号を授与(1976)。
小児外科医としての活動

1972年、米国ボストンに研修医として留学中、「先天性十二指腸閉鎖に対するダイアモンド型吻合手術」を考案した。この手術手技は同疾患治療の永年未解決問題だった吻合部通過障害を解消し、現在世界各国の基準手術手技として広く実施されている。

米国か帰国後の13年間、こども病院外科部長在任中に「先天性気管狭窄症に対する助軟骨グラフト根治手術手技」を開発,世界で初めて本症患者の治療救命に成功した。また当時死亡率50%を越えた全結腸無神経節症に対し「結腸パッチ手術」を開発紹介、本疾患の救命率を飛躍的に向上させた。

これらの貢献は広く世界に知られ、各国の学会や大学医学部から毎年数回に及ぶ招聘を受け、講演および供覧手術のため世界を飛び回る“ジエットセット外科医”の仲間入りをした。

1986年、米国NYのシュナイダー小児病院から小児外科スタッフとして招聘をうけ、兵庫こども病院を辞職し渡米。小児外科診療のかたわら「遊離腸管を用いた腸管延長術」,「食道閉塞症における胸壁外食道延長術」の基礎研究に取り組む。 1987年、アイオワ大学医学部外科からリクルートの交渉を受け、招聘を受諾し同大学外科準教授として就任。 1990年、同大学から終生身分保証(tenure)つきの外科教授に昇格、永久契約を結ぶ。 1992年、アイオワ大学病院小児外科部長および小児外科主任教授に昇進した。 小児外科医の現役中には世界15カ国から招聘をうけキムラ手術の供覧を行った。 在任中にアイオワ小児病院の設立委員を勤め、同病院の新企画および経営に大きく関与した。

2001年アイオワ大学教授を退職すると同時に、同大学外科名誉教授(Emeritus Professor of Surgery)の称号を授与された。

米国外科学会、米国小児外科学会、米国小児医学アカデミー、英国小児外科学会の正会員のほか、アジア小児外科学会理事長、太平洋小児外科学会理事を歴任した。  カナダ小児外科学会名誉会員、日本小児外科学会名誉会員の称号を授与される。

1996年、新手術開発の功績によりAmerican Surgical Association正会員に選ばれ、2003年には太平洋外科学会からCoeメダルの授与を受けた。
医療医学以外の活動

1985年神戸新聞に発表した作品「肥後守」が日本エッセイスト協会の全国のプロアマ混じた60篇に選ばれエッセイストとしてデビュー。現在もエッセイストとして執筆活動中。1995年に日米文化比較論「アメリカで医者をやるにはわけがある」(草思社)、2007年に同「オペのイチロー、世相を斬る!」(松柏社)を出版した。

2005年から「デーリースポーツ」紙にコラムを持ち4年半にわたって毎週辛口の日米文化比較論を連載し人気を博す。(バックナンバーはブログに掲載)

現在はホノルルに在住し春秋にはニッポンを訪れ、日米文化比較論、医学教育、卒後研修、医療制度について精力的に講演活動を行なっている。日本の医療崩壊、医師不足、大学病院の赤字経営に大きな関心を持ち、その改善策の探求をライフワークとする。

また2004年から広島大学病院ほか幾つかの医療法人の特別経営顧問として活動中。ユニークな思考と手法によって経営改革に貢献。とくに広島大学病院の経営は数年間に飛躍的な向上をとげ、旧国立大学病院の中では東大と並んで全国のトップに達した。

 

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