アメリカの大学教育

大学に入るためには入学試験合格がニッポンの常識である。だが、それは世界の常識ではない。アメリカの大学には入学試験はないのだ。高校3年間の成績証明書、SATと呼ぶ学力テストのスコア、受け持ち教師の推薦状を願書に添えて、全米に2千校もある4年制大学の幾つかに送っておけば、どこかから入学許可の通知がくる。

新入生の定員はあって無きが如し。前年と比べ、千人も増減する。入学式はない。とりあえず一学期の授業料を納めて授業に出席する。最初の2年間はリベラルアートと呼ぶ教育課程。理系文系の区別はなく、受講科目はすべて自由選択。選択の仕方によって、2年後に控え志望学部進学が決まるから、人生初の重要な決断である。

授業に出席すると、1クラスに学生は20人ほど。教師と常に目線を合わせての授業は質疑応答が主体で、口頭試問の連続のようだ。授業の終わりには、山ほど宿題が出る。翌日の授業は宿題をテーマに進む。毎晩勉強しないと付いて行けない。「ボクの描いた大学生活とは大違い」という者は、脱落していく。勉強地獄のような2年間を耐え抜いた者だけが、志望学部に進学できる。

学部の選択権は成績順だから、競争は過酷である。学部では、抜きつ抜かれつの競争はない。すべての教程を終了した時点で卒業。クラス全員が同時に卒業するとは限らないから、卒業式は年に3度も行われる。角帽にガウンをまとい、学長から卒業証書を手渡されると、4年間の辛苦がこみあげてきて、感涙にむせぶ。青春の一駒だ。

志望者全員に大学生活を体験するチャンスを与える。脱落するのは本人次第だから納得がいく。脱落した者も、再び勉強する気になれば、いつでも復学は許される。

入学前の学習評価よりも、大学4年間の学習成果を重視するのが、アメリカの大学教育なのだ。

(出典: デイリースポーツ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です