医療過失の判断は警察任せでいいのか?

先週「研修指導医のためのセミナー」と称する勉強会をワイキキのホテルで主宰した。講師にはアイオワ大学病院の各科研修指導医を招き、ニッポン各地の病院幹部医師に米国医師卒後研修のすべてを学んでもらった。講義はしばしば脱線し両国医師の臨床知見交換の場となったが、話題が医療過誤に及ぶと日米の事情の相違が全員の関心を集めた。

日本では、診療上の過失を犯した医師やナースが警察に逮捕され刑法上の責任を問われる場合があるという事実は、アイオワ大学の医師たちにとってショックだった。「医療者の判断や手技の過失を、警察では誰がどんな方法で立証するのか?」、「手術による患者の死亡が刑事罰の対象になる可能性があるなら、外科医は危険を冒してまで困難な手術にチャレンジする熱意を失う。それは萎縮医療を招かないのか?」などの質問が相次いだ。

医療は「医療者は時代における最良基準の知技を駆使し治療にあたる。患者は最良であるが完璧ではないと納得して治療をうける」という相互理解に拠って成り立つ。医師の知技を時代の基準に合わせるためには、医学部卒業後に更なる研修が必要だ。100年前の米国の医師たちは「単独で診療が出来る医師を育てる」ことを目標に科毎の研修制度を発足させ、今日まで改良を重ねてきた。

それでも医療者が人間であるかぎり過失は免れぬ。米国の医師、病院、州政府は、医療行為の過失には金銭的補償、当事者の知技の欠如には資格停止や剥奪などの処罰を約束している。過失の判定と処罰を自律自浄で実行する医療者は、刑法上の懲罰を免がれている。正直な判断と処罰を自律自浄の糧とするアメリカの医師団と比べると、判断や処罰を警察や法廷に丸投げする(或いは奪われた)日本医師団は、医療当事者としての本質を見失っているのでは?

(出典: デイリースポーツ)

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