日米大学の違い

「貴学の優れた研修医制度を一度見学したいのですが、わが大学は見学を公務派遣扱いにしてくれないのです。そこで相談ですが、今回の私の訪問を貴学からの公式招聘として役所に納得させるため、往復の旅費および滞在費のすべてを貴学持ちで招くというニセ手紙を一通いただけませんでしょうか。勿論、費用は全額わたしが私費で支払いますので、貴学は勿論、センセにも絶対にご迷惑はお掛けしません」

アイオワ大学教授在任中に、こんな手紙を何度も受け取った。「見学を許す側がさせてもらう側の費用負担をしてまで招聘するのは道理に反する。一体何事だ」といぶかるのは日本の役所特有の事情を知らない人。そのウラには哀しいワケがあるのだ。

日本の国立大学教授は、自身の教育学術活動上必要な情報を他国の大学で見聞することが重要と自ら判断してもそれを直ちに実行できない仕組みだ。教授は学内で教育研究に従事するのが本来の任務であり、海外施設見学の是非は当人の判断に任されていないからだ。ところが海外の大学から旅費滞在費支給保証の上で招聘された場合には海外出張が許される。背反する事象を組み合わせて不可能を可能に変える苦肉の策が冒頭に掲げたニセ手紙なのだ。

大学を仕切る文科省の担当係官は、たとえば教授が海外施設訪問中に不慮の事故に遭遇しても、規則に準じた手続きさえしていれば責任を問われることはない。ニセ手紙と判っていても招聘出張許可の書類に判子をついてくれる。
大学の頭上にいる文科省が、教授の学術活動の細部まで手も口も出す日本の国立大学と比べると、米国の大学は学の独立の原理原則を護っている。教授は自身の教育学術活動の是非を自らの判断によって実行する自己完結型の存在である。大学に働く事務官はすべてわれわれ教授の活動を支援するための存在である。

先日ある国立大学から講演を頼まれ喜んでお受けした。だが手続きの途中、担当事務官から、英語でいうとyou must調の文章で、印鑑や預金通帳を持参せよなどいう命令を通達され、直ちにこの招きを断った。

豊饒日本、衣食余って礼節を忘れているのでは?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です