アラスカ縦断と豪華客船クルーズの旅(7)

7日目

デナリ国立公園周辺のホテルやロッジに分散宿泊している数千人のクルーズツアー客の中で、明日の午後Whittier(ウイッチャー)を出帆予定のコラルプリンセス号に乗船予定のゲストは、明朝午前8時にホテル前から出発する専用のバスに乗るようにというアナウンスが、部屋に届いていた。

2晩滞在した丸太造りのロッジは、周りが花壇にかこまれ、インペイシェントやガーベラが今を盛りと咲き競っている。外面は丸太造りだが豪華な内装や気配りのきいたアメニティには、ひと昔に流行ったブルーコメッツの「ブルーシャトウ」という曲の、「バラの香に包まれてーーー」という歌詞の一節がぴったりのシャトウの雰囲気だ。

例によって、ラゲージは別便で船まで直送するから廊下に出せとの通達。重たいものは一切ゲストの手には持たせないというサービスがうれしい。貴重品やカメラを納めたショウルダーバッグひとつで専用バスに乗る。今度のツアーでは、毎日の通達はすべて英語で印刷されているので、英語が不得手のヒトには理解できない。かなり難解な表現も使われているので、25年間も英語世界にどっぷり浸かって暮らしてきたわたしでも、はてなと首をひねるものが幾つかあった。

深さ50メートルもある渓谷にかかる橋をわたると、10分ほどでデナリパーク駅につく。気温は5度。バスを降り立つ人の吐く息が白い。旅の2日目にたどり着いた北極海沿岸の石油基地が摂氏2度だったのと比べると暖かいが、それでも7月中旬にしては寒い。石油基地の売店で買った分厚い防寒コートが、ここでも大いに役に立つ。

目の前に停まる8両連結の客車の先頭はディーゼル機関車だ。マリンブルー一色の各車両の横腹には、白でPrincessと大書してある。この列車はプリンセスクルーズ会社の所有する専用列車なのだ。観光会社が所有する列車がJRの線路を走ることは、ニッポンでは有り得ないことだろう。だが、この列車はアラスカ州の公共のレールを走らせてもらうという。

1 
写真1 横腹に社名が大書してあるプリンセス専用列車。2階が客室。キッチンとダイニングルームは2階建ての1階にある。

各車両は2階建てで、客室は二階。螺旋階段を上がると固定テーブルを真ん中に前後2人づつ4人がけの小セクションが20枠ほどとってあり、車両、コンパートメント、座席の順に記したチケットを手に持って自分の席を探して座る。客車は幅3メートルで重さ90トン。新幹線の1両ほどの大きさに定員80名だから、かなりゆったりしている。足も存分に伸ばせるし、テーブルにはゆったりと余裕がある。車両の中ほどには、ひと枠分のスペースにバーが仕切ってあって、各車両に一人づつ配置されている車掌がバーテンを兼用することになっている。みていると、座席につくとすぐ車掌ならぬバーテンを手招いて、ウオッカトニックを注文している熟年女性がいる。朝の8時すぎ、まだ、発車もしていない列車の中でウオッカトニックを飲むなんて、いささか急ぎ過ぎではないかと思って見ていると、車掌兼バーテンも心得たもの。満面の笑みをうかべ、グラスをマドラーでかき混ぜながら座席に届け、5ドルの飲み物に2ドルのチップを受け取ってにんまり。列車が動いていようが停まっていようが、ゲストに飲みたいものを届けるのは、チップ次第ですよといっているような笑顔に、サービス業の原型を見るようだった。

2 
写真2 客室の中央にバーがみえる。

席に座って上下左右を見回すと、客車の車窓にあたる部分には窓枠というものが全くない。客室は完全密閉式で車内の温度は冷暖房で調節するようになっている。座席の真横から天井にむかって、1枚の重さが300キロもある湾曲したホンモノのガラス板が張ってある。紫外線防止の仕掛けがしてあるから日焼けの心配はない。室内は完全密閉式で、快適性は空調だけが頼りである。そのため、各車両のキッチンの床下に空調専用の発電機を回すジーゼルエンジンが備えてあるという。コンパートメントのテーブルについて、上下左右のどこを向いても、視野にはいるアラスカの風景と青い空をさえぎるものがないようなデザインになっている。

ニッポンと違って、ヨーロッパやアメリカの駅にはプラットフォームというものがない。乗客は、レールの枕木と同じレベルの地表から、車両の前後についているステップとよぶ数段の階段を上がると、デッキの床面にあがる。ここは雨よけの屋根こそあるがまだ客室外である。走行中にデッキにたつと、チェーンの粗末な手すりの向こうは沿線の原野だ。間違えて転落したらクマかキツネに食べられると覚悟しなければならない。
ところが、沿線の風物の撮影にはこのデッキがベストアングルだ。老いも若きもチェーンの手すりから乗り出し、からだ半分が車外にぶら下がったまま、シャッターチャンスを狙う。自己責任の国だから、誰も引き止めるものはいない。

客室の階下でなにやらゴトゴト音がする。いま上がったばかりの螺旋階段をまた下りてみると、一階は左右に4人がけのテーブルが六つもある本格的な食堂車。ボーイ達が各テーブルにテーブルクロスをかけ、ナプキンや食器を並べている。そのダイニングルームの奥にあたる車両の後ろ半分がキッチンだ。コックがストーブに火をいれながら、仕込みに忙しく働いている。

8両編成の列車に640名の乗客。640名のために8箇所のバーとキッチンとダイニングルームがそれぞれの車両に設置されていて、6、7人のスタッフが働いているのだから、これほど贅沢な汽車の旅はない。感心しているうちに汽笛が鳴って列車は動き出した。ここからネナナ河の渓谷沿いに南に下ってアンカレッジを通過し、347.9マイル(約600キロ)を8時間かけ、北太平洋に面した不凍港のウイッチャーまでの鉄路の旅は始まった。単線ゆえ途中幾つかの駅に停まって対向列車の離合待ちをするが、プリンセスクルーズの専用列車だから、一般客の乗降は一切なし。ゆっくり動き出した列車の空き地では、ホテルから乗ってきたバスのドライバーやガイド、荷物の積み下ろしをする地上スタッフなど数十人が並んで手を振りながら見送ってくれる。列車の旅ならではの旅情いっぱいの別れのシーンはいつ出会っても感動する。

同じコンパートメントの同じテーブルで、向かい合わせに座ったカップルと改めて挨拶をかわす。なにしろ、これから9時間もの列車の旅の間、同じ空間で過ごす相手である。知らんぷりはできない。自己紹介を交わしたカップルは、フロリダ州に住む白人のアメリカン夫婦だと判った。亭主は優良会社のオーナーだったが、50歳すぎに今が盛りの会社を売り払い、ビジネス界から完全に足を洗った。その後は株の運用益で遊び暮らしての10年。ビジネスに復帰する気持ちは全くない。この人生設計はニッポンの昭和のおとこには絶対に理解できないだろう。苦労して作った会社がやっと絶頂を迎えて、これから先どこまで成長するか判らないというとき、大金と引き換えにポンと人手にわたして知らん顔などできるものか。
「会社の一番いい時期に、高値で買ってくれる買い手がついてよかったです」
「よかっただと。寝言も休み休み言え。社員はどうなるのだ?お得意先は?それで社長の社会的責任は果たせるのか?」
ひと昔まえ経済大国を築いた昭和のオトコたちは、きっとこういって50歳で会社を売るオトコを非難しただろう。
会社を売って引退したあとのお収入はと遠まわしに尋ねてみると、NY株式市場での資産運用益だという。この男性、60歳でふさふさの黒髪をしており、通常街でみかけるアラ還のアメリカン男と比べると10歳は若く見える。ストレスのない暮らしをしているからだろう。

ほぼ同じ年恰好のカミさんも、日ごろのシェイプアップが功を奏してか、アメリカン熟年女性には珍しく若々しくみずみずしい。持ち物や着衣のセンスから、かなりセレブな暮らしぶりが伺われる。

二人はこの10年間に世界80カ国を訪れたという。クルージングは、このアラスカ航路を含めて10回ほど。今回念願の北極海の冷たい海水に足を踏み入れる体験をしたので、次は南極大陸に上陸し、南氷洋のなぎさに足を浸けてみたいという。

「つぎつぎと旅のプランがあって楽しみですね」
水をむけてみると、
「幼い頃読んだ冒険小説で胸躍らせた場面には全部足を運んで体験してみるのがボクの夢です。絶海の孤島にもいってみたいし、原子力潜水艦のノーチラス号にも是非乗ってみたいですね」
まるで、質問するKの胸のうちを読み取ってのことか、まるでコピーしたかのような反応だ。
「奥様も冒険小説に魅せられたのですか?」
みえみえの愚問を発してみる。
「いえ、わたしはダーリンの行くところなら、アフリカのサバンナでも厳寒のシベリアでも、どこまでもついていくだけですわ」とアメリカンレディらしくないコメントだった。愚問には愚答でバランスをとってくれたのだろう。

亭主はかなりのカメラオタクで、数台のニッポン製デジタルカメラを操り、時速500枚ぐらいのスピードで目に入るものを手当たり次第に写しまくる。ニッポン人夫婦に出会うのはよほど珍しかったのか、早速2、30枚のスナップ写真を撮られてしまった。
 
「フロリダといえば、アフリカの原野で死滅していく野生動物の救済に異常な関心をもつ大富豪がいると聞いたことがありますが、その方はいまも活動中ですか?」
話題を変えてハナシをフロリダに振ってみる。
「ああ、あの自宅の庭にジャンボジェット機が発着できる4千メートルの空港を自費で造って、アフリカの死滅しつつある稀少動物を、これまた自宅の敷地内に作った動物園に保護しているあの有名な御仁ですね。まだ活動を続けてらっしゃるようですよ」
「ご本人の信念とはいえ、随分高くつく人生目標をお持ちの御仁もいるものですね」
マイホームを持つのが、多くの普通の人の人生目標である。マイ空港を造って、マイジャンボ機を保有し、マイ動物園にアフリカまでジャンボを飛ばして連れ帰った、アフリカの野性動物を保護するのが趣味という御仁は、世界でもそうザラにはいないだろう。

「似たようなハナシですが、今、アメリカの金持ちの間で流行っているのは、オーダーメイドのマイ客車にのって出かける鉄道の旅です」
「ほう?」
「丁度今乗っているような客車を好みのデザインに造らせて、それを路線列車に繋いでもらって旅するのです。車両には、居間、ベッドルーム、湯船にシャワーのバスルーム、キッチンにバーなどに粋を凝らせた家具調度品を配置し、それにメイドやコックやバトラーなどを乗せて、東西南北気の向くまま路線列車に繋いで引っ張ってもらう旅ですから、並の人にはチト真似ができませんな」
アメリカの金持ちはスケールが違う。
世界的大富豪の子女を幾人も手術してきたが、マイ客車で旅をするひとには出会ったことはない。

プリンセスクルーズ専用列車は、アラスカ鉄道が単線ゆえ、対向列車をまって離合のために停車する以外は、ノンストップで800キロを走り抜ける。駅で停まっても、誰も乗り降りしないというわけだ。だから、州都のアンカレージ駅も徐行しながら通過。

アンカレージを抜けると、クック湾を東にのびるターンアゲイン入江北岸沿いに走る。50キロ余りの北側の海岸線から対岸をみると、雪を被ったケナイ山脈の眺めに息を呑む。嶺の北壁の沢には厚い氷河が残っている。こんな景色が1時間近くも続く。

3 
写真3 車窓から入江の向こうの山に氷河がみえる。

ターンアゲイン入江の中ほどにあるインディアンという集落を通過するとき、不思議な光景を見かけた。1994年にこの地方を襲った大地震で地面が3.6メートルも陥没し、海岸にあった樹木は立ったまま根本半分は海水に没した。立ち枯れした大木の殆どは倒れて海底に眠っているが、残った枯れ木は、まるで海の中から生えてきたように見える。

入江の突き当たりにあるポーテージという小村を過ぎ、トンネルを二つ抜けると、太平洋に面した不凍港であるウイッチャーに着く。トンネルの中の線路は舗装道路に埋まっていて、丁度路面電車のレールの様相を呈している。このトンネルは列車とクルマが連なって、交互に通行する仕組みだ。トンネルを抜けると目の前がウイッチャー港。今夜の出航を待っているコラルプリンセス号(9万3千トン)の真っ白な巨体が見えてきた。

4 
写真4 コーラルプリンセス号の全長300メートルの巨体はカメラの視野に入りきらない。