摘出した臓器は誰のモノ?

腎臓病をもつホスト患者から摘出した病的腎を別の腎臓病のレシピエント患者に移植するという医療方法が、賛否両論の論議を呼んでいる。論点を要約すると、1)ホストの治療に腎臓摘出の適応があったか?2)病的腎移植は治療方法として適正か?3)レシピエントは病的腎と納得して移植を受けたか?の3点に絞られる。論点1と2は医学上の判断の問題だから、移植外科学会の委員たちが検討中だ。論点3は患者と医師のコミュニケーションの問題だ。

この論争を移植先進国のアメリカから眺めると、ひとつ大事な議題が抜けている。それは「摘出した臓器は一体誰のものか?」という議論だ。臓器は身体の一部だから摘出されるまでは当然患者のモノだ。ニッポンでは摘出臓器は病院のモノという考えが一般的だ。臓器を廃棄する場合、あるいは標本として保存する場合に、病院は国の規定にしたがって対処する。だから提出臓器は病院に属するという通説が生まれた。この論法が正しければ患者は臓器摘出と同時に、自分のモノであった臓器の所有権を失う。

一方、自分の臓器を医者の勝手で他人に利用されてたまるかというのがアメリカンだ。臓器や血液は勿論、精液、毛髪、つめ、糞、尿、唾液、涙、鼻水などの検体は、病院の検査室に送られたあとも、その所有権は患者にある。だから摘出臓器を移植に使うなら、所有者であるドナー患者の同意書(インフォームドコンセント)が必須だ。これを怠った医師は窃盗罪に問われる。カルテの内容、病理標本、X線フイルムなどに収録された情報も、臓器と同様に患者に所有権がある。これらの情報を研究データに使用する場合にも、患者の同意書が要る。

ニッポンでは病的腎移植の是非のまえに「摘出した臓器は誰のモノか」を決定すべきだ。この原点を定めなくて議論の展開はない。

(出典: デイリースポーツ)

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