迷える子羊

アイオワ大学病院の外科研修医の定員5席を目指して、毎年50倍もの医学部卒業生が全米から応募する。応募者は、在学中の学業成績や医師国家試験の獲得スコアによって50人ほどに絞り、面接試験のスケジュールをたてる。面接試験は、教授、準教授、講師などスタッフに加え、研修中の研修医や入院中の患者有志など多分野の人が担当する。各応募者は1日のうちに10名をこえる担当者と1対1、15分ほどの持ち時間で面接するため、部屋から部屋へと駆け足で移動する。面接担当者は共通の評価項目に準じて、応募者の人柄を評価し採点する。

ある年、日本からA君という医学生が応募してきた。A君は学業成績もよく、米国の医師国家試験もパスしており、わたしは密かに期待していた。ところが、面接試験のあと、A君の席次は最下位近くまで下がってしまった。そのわけを同僚教授に尋ねてみると、「A君は、自身の将来展望、社会貢献への意識という項目での失点が多い。外科医に『なりたい』というばかりで、外科医になったら、何を『する』という意思表示が不明確で弱い」という答えだった。

A君の失点に象徴される将来設計、目標の立て方には、日米大学生の間に大きな違いがある。アメリカの若者は、まず自身の医師としての将来像を定めた後、目標達成の手段として医学部に入学する。一方、日本の若者は、医学部入学を人生の最終目標として、入試に死力を尽くす。「卒業後は何科をするのかと問うても、判らないと答える医学生たちは、まるで迷える子羊です」と友人の医学部教授が嘆く。「医学部に入りさえすればいい子ちゃんだよ、と親に甘やかされた若者を、あなた方が入試の点数だけで選んだ因果です。日本の大学入試にも面接試験を加えて、将来設計を持たない者は入学拒否したら如何?」と提案した。ちなみに、アメリカの大学には入試というものは存在しない。

(出典: デイリースポーツ)

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