「春歌世代」

「春歌を唄ったことはあるかい」若い研修医たちに尋ねてみると、全員が「ノー」という。「春歌ってなんですか」と問い返すものもいる。

1960年代の学生コンパでは、「一つ出たホイのよさホイのホイ」の出だしではじまる代表的春歌が開会の挨拶だった。そのあとも手拍子にあわせた卑猥な唄が延々と続く。唄の合間に呷る安酒に、一人またひとりと酔いつぶれていく。最後の一人がダウンすると、それでお開きになった。

あの頃、若者は、何故に春歌を唄ったのだろうと想い返してみる。当時は、男と女が一度でも肉体関係を結ぶと、結婚にまで発展するという解釈が大方の了解だった。今と違って、親は子に対して絶対的な支配力を維持していた。息子が大学に入ると、「下宿屋の娘などシロウトの女性には、絶対に手を出してはならぬ。もししたら、二度と家の敷居をまたぐことはないと思え」と引導を渡して送り出した。親の戒めは恐ろしいが、身体の底から突き上げてくる性の衝動を抑え込むのは難しい。

親の戒めと内なる衝動。この間で葛藤する若者たちは苦悩した。衝動を封じ込めると、体内に渦巻くマグマの圧が上がる。圧が閾値に達すると、爆発の危険が迫る。とはいっても、都合よく欲望のはけ口になってくれる相手はいない。空しくも、ガス抜き代わりに春歌を唄う。「春歌世代」のコンパにはこんな時代背景があったのだ。

欲望に打ち勝つための自己制御は、強い克己心を育てる。耐え忍ぶ経験は、挫折からの復元力を養い、自信と気力を生みだす。いずれも、今の若者に欠けているものばかりだが、それにはワケがある。

いまは合コン全盛の時代。「今夜いいかい」と声かければ「いいわよ」で合意成立。その日のうちの「お持ち帰り」には、自己制御も、忍耐も、克己心も要らない。だから、若者たちに春歌は要らないのだ。

(出典: デイリースポーツ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です