「なる」文化の国

新内閣の認証式に引き続く恒例の記念写真撮影の模様をテレビでみた。最前列の小泉首相の左隣に立つ女性新大臣は、鮮やかなブルーのドレスを身にまとい、まるで宝塚歌劇のステージに立つ大スターのように華やかだった。

翌日のテレビインタビューでは、「お肌がつやつやして、お若いですね」というインタビュアーのコメントに、「そんなことをおっしゃらないでください」と否定なさりながらも、くねくね動くボディランゲージには、歓喜、はにかみ、色気が混じりあい、童女と見間違うばかりの無邪気さが溢れていた。

アメリカでは、女性の身体状態について「肌がつやつや」などと批評することは、それが世辞ではあっても、立派なセクハラである。国際派の新大臣は当然それをご存知の筈だ。だから「ふざけないで!」の一言のもとに却下されるものと期待したのだが、嬉々とした反応を示されたのは意外だった。

話題がブルーのドレスに及ぶと、「ここまで登りつめた特別な日を記念して着用しました」という意味のコメントをのべられた。「一生一度の晴れ舞台なのだから、少しぐらい目立つドレスを着たっていいでしょう」と理解の催促が、言葉のウラに読み取れた。

日本は「なる」文化の支配する社会である。政財官界学界で上昇志向の強い人は、リーダーに「なる」ことにゴールを設定する。これは「なった」瞬間に、それまでの努力や忍耐のすべてが、完結する文化である。就任後に何をするかは厳しく問われない。「なる」ことにこそ価値のある地位であるから、任期中、国のために何をするかを明示しない新大臣でも、晴れ着に身を包んで感涙に咽んでいれば温かく優しく受け入れてもらえる。

新大臣が永年過ごされた米国の大学は、教授就任の条件に「大学人として何をするか」を厳しく問う。着衣の色やデザインとは、まったく異次元の問題である。

(出典: デイリースポーツ)

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