メンターシップ

先週、ニッポン各地の病院で研修医を指導しているドクター35人にホノルルまで出張ってもらい、「研修医をいかに育てるか」と題するセミナーを主宰した。講師陣には、わたしの元同僚で現在アイオワ大学病院の各科研修を仕切っている研修指導の専門家8名を招いた。日本の医師研修制度は2年前に始まったばかりで試行錯誤を続けている。卒後研修90余年の歴史をもつ米国から学ぶことは多い。

講義に出てきたメンターシップという言葉の意味が判らない、解説してくれというリクエストを受講生から受けた。“Mentorship”と綴る言葉の語源はギリシャ神話のオデッセイの助言者で、その子の教育を託されたMentorに発する。「メンターシップは、古くから芸術や音楽など広い分野に使われてきた“師匠(メンター)と弟子の関係”と思ってください。師匠は弟子と1対1の関係にあり、知技を伝承するばかりでなく、匠の哲学と全人格を弟子に注ぎ教えることをメンターシップと称するのです。そこが単なる教師と生徒の関係との違いです」
「なるほど」
「1例をあげましょう。わたしは30余年前ボストンの病院で小児外科研修を受けました。師匠のフィッシャー教授は、当時南部の名門大学から主任教授として招聘されていました。招きを受けるべきかボストンに留まるべきか悩んでいましたが、教授は最終的には、ボストンに留まると決断しました。手術した患者8千人のカルテが入ったファイルボックスを指しながら、医師としていままで診てきた患者を見捨てて栄誉に走ることは良心が許さない、と弟子のわたしに告白してくれました。この大事な一言を弟子に伝えることに、メンターシップの意義があるのです」
「いいお話ですね。アメリカの大学教育の奥深さを初めて知りました」

今、ニッポンの教育の場はメンターの器量を持つ人材を欠く。今度のセミナーは主宰してよかった。

(出典: デイリースポーツ)

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