学位論文審査の謝礼

先日某大学の医学部教授が弟子たちから学位論文の審査に対して受け取った謝礼を賄賂と咎められ逮捕された。学位というと約40年前、医学博士になったときの経緯を思い出す。研究結果を論文にまとめて指導教授に提出し手直ししてもらった原稿を小冊子に印刷して医学部教授会に提出する。教授会はこの論文の主査1名、副査2名を任命する。主査は指導教授だ。指導教授が自分で手直しした論文を自ら審査することは世間一般の常識に反するが、矛盾を平然と黙認したのが当時の「白い巨塔」だ。主査と副査の口頭諮問に続く英語とドイツ語の試験にパスするとあとは手続きのみ。本学の学長室に呼び出され、学位記と称する巨大な証書を学長から手渡しでもらって医学博士になった。だが手続きはまだ終っていない。

「謝礼はナンボ位しときましょう?」主査と副査に渡す謝礼の相場を先輩に尋ねる。「主査が2本、副査が1本やな」と教えてくれた。1本が幾らだったかは想像にお任せする。「これは何十年も続く医局の習慣やさかいな」と教えられ、当然のことと納得した。今度某大学医学部に司直の手が入った事件でも、当事者たちには過去1世紀医学部に伝わる伝統という認識しかなかったのではないか。

ニッポンは世界に冠たる贈答王国である。世話になったら幾らか包むのが当然という情緒支配の社会だ。だが研究や教育の場で審査や抜擢に対する謝礼の相場があるのを外から眺めると明らかに異常だ。法外な謝礼はこれを賄賂とみなして当然である。

自治を謳歌するアメリカの大学は研究や人事の評価に関して金銭授受があった場合、当事者を即放逐する自浄機能を持つ。一方何十年か昔の大学紛争の際、自浄機能を含む自治を捨てたニッポンの大学は、学内の不祥事でも司直の手に委ねるしかない。大学が再び“自治”を取り戻す日は来るのだろうか?

(出典: デイリースポーツ 2007年12月20日)

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