AO入試と大学教育

九州大学や筑波大学で試行されてきたAO入試を廃止すると先日報じられた。AO入試学生の成績が、従来方式で入学した学生に劣るからだという。従来方式は志望学部の受験成績順に定員数だけ入学させるという誰もが永年慣れ親しんだ受験スタイルだ。単位さえとれば進級し卒業する。

一方、AO入試は米国に2千校ある4年制大学の殆どが採用している方式だ。進学志望者は高校の成績、推薦状、将来展望作文、SATという学力テストのスコアを願書とともに複数大学の入学事務局(AO)に送っておけば、いずれかの大学に入学できる。入学に受験は要らない。

新入生は理系文系の区別なくリベラルアートと呼ぶ教養課程に放り込まれ、その後2年間の学業成績順に志望学部に進級する仕組みだからクラスメートの全員がライバルだ。毎回授業の終わりには試験があるから欠席できない。山のような宿題をかかえた学生達で図書館は連日夜半過ぎまで賑う。この勉強地獄に耐えかねクラスの半分は脱落していく。強い目的意識と克己心を持つ者ののみが勝者として学部に進める。

大学の使命は玉石混交の若者たちの中からホンモノの玉を選別し、これを磨いて社会に役立つオトナに育てることだ。日米両国の大学生を公正な眼で見比べると米国学生のほうがオトナに見える。理由は言うまでもない。受験に受かればいきなり学部に入学させ、全員卒業を目標とするニッポンの大学環境では、鍛えられたオトナは育たない。

一方、脱落の恐怖に耐え抜き過酷なレースに勝って選ばれた者には矜持と責任が自然に身につく。AO入試は脱落者を生んでこそその本領を発揮するが、それはニッポンの「和」の心になじまない。九州大学や筑波大学の果敢な試行が不成功に終わったのは、脱落者を排除する決断をしなかったからだろう。

 (出典: デイリースポーツ 2008年2月28日)

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