アメリカ文化センター:図書館長の決断

久しぶりに訪れたコウベの街角に立つと様変わりした町の風景の背後から、半世紀まえ貧乏医学生だった頃の思い出が甦える。大学には入ったものの極度の困窮状態にあったわたしは月額千円の授業料が払えなかった。授業料は全額免除にしてもらい、日本育英会から奨学資金を借り受け、家庭教師を2口掛け持ちして生活費を稼ぐという暮らしには、高価な医学教科書を購入する余裕はなかった。

「アメリカ文化センター(ACC)の図書館には全科目の教科書が揃っていて貸し出してくれるで。ただし全部英語やけどな」英会話クラブの先輩が教えてくれた情報はまさに天の声だった。

戦後間もなく、占領下にあったニッポン社会にアメリカ文化を浸透させ米国支持者を育てる目的で、米国政府は各地にACCを開設した。コウベのACCは旧生田警察署の正面にあった。

磨き上げられたリノリュウムの床からアメリカの匂いが立ち上る。図書館の書庫には医学書のセクションがあり、生理学、病理学、内科学、外科学など最新版の教科書がずらりと並んでいた。女性館員は2週毎に更新すれば、同じ教科書を何度でも貸し出すといってくれた。その日から重い教科書を抱えて、2週毎のACC通いが始まった。

半年過ぎた頃の或る日、アメリカンの館長が面接するという。疑心難儀のうちに会ってみると「ACCをフルに活用してくれて有難う。2週毎に教科書の貸し出し更新に通うのは大変だろう。君には特別に貸し出し期間を6ヶ月に延長することにした。しっかり勉強しなさい」と励ましてくれた。嬉しかった。

外国語で医学を学ぶのは大変な苦難である。だがその苦難もアイオワ大学外科教授就任の日、結実を実感することができた。あの日あの図書館長が寛大な決断をしてくれなかったら、その後米国の大学で教鞭をとれたかどうか判らない。ACCのミッションに忠実だったあの図書館長に、いま会ってみたい。

(出典: デイリースポーツ 2008年2月21日)

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