バターが足りない?

ハワイに戻って3週間。株安と物価高に驚いている。たとえばハンバーガー、フレンチフライ、飲み物のセットは、3月ほど前まで4ドル80セントだったのが、いまや6ドル50セントに跳ね上がった。これでは手がでない。昼どきにはショップは人で溢れて行列さえ出来たのに、今は閑古鳥が鳴く。この物価高ではハワイ産の食材を買い自分で調理して食べてしのぐに限る。ハワイは絶海の孤島だが自力生存には適している。多少の穀物さえ島外から輸入すれば、魚、野菜、果物、塩、砂糖、食用油などはすべて自給できる。

ニッポンではバターが品不足と風聞する。数年前、政府指導の生産調整と称し、原乳を下水に捨てる場面をテレビで見て、なんという愚策かとあきれた。行政の先見不明が立証された今、捨てたミルクは還らない。

バター不足と聞くと、元秘書の老嬢ローマが語ってくれた、第2次大戦中のアメリカ家庭生活のエピソードを思い出す。60年前の戦時中にはこの豊な国でもバター、砂糖、ガソリンが不足し、配給キップなしでは入手できなかったという。この事実をニッポンで知る人は殆どいない。

足りなければ増産して入手するのがアメリカ魂だ。ミルクも小麦も増産に励んだ挙句、戦い終わってふと見回すと、余剰農産物が山を築いていた。それを粉乳にしてリバティ船に乗せ、太平洋を越えて運んできたのがララ物資。ララ物資は数えきれない人命を救った。筆者もララ物資で命を繋いだ子どもの一人だった。その頃ニッポンでララ物資に感謝こそすれ、悪しざまに誹る人は一人もいなかった。当時のニッポン人は、少なくとも救いの手を差し伸べてくれた人には、謝意を表す礼節をわきまえていた。

いま米国を貶める意図を持つ人は、ララ物資は“牛の餌”だったという。餓死の辛さに無感覚か、それとも礼節を欠く人間には、そう思えるのかもしれぬ。

(出典: デイリースポーツ 2008年7月10日)

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