金沢抒情

冷たい北風と氷雨で明け暮れた4月が終わって、やっと春らしい日差しとなったが、新緑にはまだ程遠い5月初旬金沢を訪れた。ホノルルから国際電話で予約しておいた「ほたる屋」で食事し、駅前のホテルに一泊して翌朝のサンダーバードで大阪に戻る、という単調な旅程の金沢詣でをするようになって、7、8年になる。 

アイオワ大学外科教授をやめたあと、ホノルルに住まいの本拠を構えながらも、1年の半分をニッポンで過ごすようになって10年が過ぎた。春と秋は、大阪の我が家を基地にして顧問をしている幾つかの病院を巡り、大学や民間団体で講演をし、その合間に旧友たちとのゴルフや、大阪の旨いもんめぐりにとち狂うという、多忙なスケジュールだ。その定番に「ほたる屋」の晩飯が加って以来、金沢を訪れずにはホノルルに戻れなくなった。それほどに「ほたる屋」の料理にのめりこんでいるのにはワケがあるのだ。

そもそもの出会いは、古都めぐりを好む家内が一人で金沢を訪れ、ちょうど茶屋町に着いたころ昼時になったので、予約もなしに暖簾をくぐったのが「ほたる屋」だったのだ。カウンター席に座った家内は、料理の旨さと、おんな一人のランチを気持ちよく食べさせてくれた板前氏にいたく感激し、次回には亭主を連れてくると約束して大阪に戻った。

そしてその年の晩秋に金沢を訪れた。花街の風情がのこる石畳の通りの角にある「ほたる屋」で板場を預かる花板のMさんは、ハスキーボイスで人懐こい話し方をする中年男性。威張りもせず卑屈にもならず。そうした人とは長続きする。

ブリ起しという冬の雷で眠りをさました寒ブリの造りやブリ大根などブリづくしが続々と出てくる。どれを食べても旨い。熱燗の金沢の地酒が日本海の海の幸によくあう。芸術のようなその日その日の献立は、前日にMさんが市場の食材を吟味しながら決めるという。これまで同じ料理が出た記憶がないのもむべなるかな。

店の中には200年前に使っていた井戸が残っている。以前は屋外にあったのが増築で屋根の下に入ったという。その水はその気になればいまでも使えるそうだ。壁の一部を斜めにそいで、2世紀もの間に塗り重ねてバウムクーヘンのようになった壁の層を、一目で見られるように粋な工夫がしてある。物言わぬこの壁は、加賀百万石の武士から現代のビジネスマンまでの、いろんな時代の日本人を眺めてきた。もし壁がもの言えるとしたら、今の日本の体たらくを一体何にたとえることだろう。

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