沖縄の新米ドライバー

沖縄県立中部病院は、若い医師たちが、米国臨床指導医による研修指導が受けられる、国内唯一の研修病院である。その中部病院から、外科研修医を指導する米国臨床指導医として招聘をうけ、沖縄に来て一ヶ月が過ぎた。

沖縄はJRも地下鉄もない島だ。クルマがなければ暮らしていけない。ホノルルを発つまえ、クルマは提供するから、必ず国際免許を持参するよう指示を受けた。ニッポンでクルマを運転する羽目に陥るとは、思いもよらぬことだった。何しろ、1986年以来、19年間も左ハンドルのクルマで道の右側を走ってきたのだ。今となって、道の左で右ハンドルのクルマを運転する自信はまったくない。だが、運転が出来なければ、宿舎から病院までの往復は勿論、生活用品の買い物も不可能と知って覚悟をきめた。

沖縄の新米ドライバーとしてクルマ出勤の初日、大通りに進入する信号のない交差点で左折しようとしたが、車の流れが途切れるのをじっと待っていると、いつまでも動けない。うしろのクルマはしびれを切らして、早くいけとクラクションを鳴らす。今前進すれば、右から来るクルマにブレーキを踏ませることになると判断、じっと動かずにいると、業を煮やした後ろのクルマは、わたしの右側をすり抜け、強引に大通りのクルマの流れに割り込んでいった。

米国では、割り込みによってクルマの流れを妨害するだけで、違反キップだ。衝突事故がおきたら、ニッポンのように進行してきたクルマの前方不注意は問われない。割り込んだクルマの過失になる。

このルールは、相手が人間でも同じ。アイオワ大学病院ERに詰めていたとき、ガードレールをまたいで車道に飛び出し、クルマに跳ねられた人が運ばれてきた。この人は間もなく亡くなったが、ドライバーは無罪放免になった。

交通法規の根本理念は、国によってこれほど違うから怖い。

(出典: デイリースポーツ)

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