一級建築士と外科医

設計事務所を経営する一級建築士が、鉄筋を何本か間引いた設計をしたせいで、軽い地震でもホテルやマンションが倒壊するというニュースが全国に波紋を広げている。ビルを建てた建設会社は、設計どおり建てたのだから責任はないといっているが、建設中にコンクリートの中に埋める鉄筋の本数が少ないと、経験で判らなかっただろうか。

渦中の一級建築士は、テレビのインタビューに、鉄筋の本数を基準よりも節約する「風潮」が業界内にあったという。「風潮」に逆らうならビジネスを失うぞと脅迫され、やむなく手を抜いたと、平然と述べる姿に嘔気を覚えた。

これを手術に置き換えてみよう。わたしが或る病院に、外科医として勤務していると仮定する。病院のオーナーから経営改善のため、手術中に使う縫合糸の本数を間引いて使えという「圧力」を受けたとしよう。縫合数を間引いた手抜き手術をすると、縫った傷は開いて、患者は生命を落とす。オーナーは、手抜き手術をしなければ、クビにするぞと圧力をかける。さて、どうするか。

わたしは躊躇せず、直ちにその病院を辞める。そしてオーナーから「圧力」があった事実を公表する。そう決断する勇気を持たぬものは、メスを持ってはならない。そう教わり教えてきた。

判断と実施が人命に関与する職業にあるものは、余人の持たぬ資格に対し免許を与えられる。免許は、資格の範疇において判断と実施を行う際、正義(fairness)を貫くことを前提にしている。医師は医療行為に際し「行為が患者の利益に供するか否か」を基本に判断し実施する。

一級建築士も外科医も、判断と実施が人命に関わる自己完結型の職業だ。「圧力」ごときに押され、ひとの生命を粗末に扱うことは許されない。「自己のビジネスを守るため鉄筋を抜いた設計をした」と他人事のように語る一級建築士に、現代の底知れぬ不気味さを覚えた。

(出典: デイリースポーツ)

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