ヨコスカ米国海軍病院インターン物語(14)
彼女に噛まれた男性のシンボル

海軍病院の日課は朝が早い。その日に予定された外科手術の第1例目には、午前7時にメスが入る決まりになっている。外科インターンは、この時間までに外科病棟に入院中の患者全員を診て回り、前夜からの経過や検査結果をスタッフに報告しなければならない。そのためには毎朝5時半に起床し、歯磨き、洗顔、髭そりを大急ぎで済ませ、ユニフォームに着変えると、5時から開いている将校食堂で朝食をとる。手術の都合によっては、昼食はとれるかどうか判らないのが外科医の1日だ。朝飯のテーブルでは、ハムエッグやオムレツを腹いっぱい食べておかないと、長時間の手術中に低血糖で倒れることがある。

朝飯が終わると6時には外科病棟の入院患者全員の回診を始める。一人ひとりの患者の、前日から現在までの経過と検査結果をすべて掌握しておいて7時前に手術室に入ると、スタッフ外科医と並んで手洗いをしながら、全患者の経過を口頭で報告する。40人を超える患者の氏名、年令、疾患名、経過、検査結果を要約し、ストーリーとして口述報告する義務を課せられているのだ。これには相当の記憶力が要る。だが、この責務を課せられると、多様な情報を要約し、簡潔化したストーリーとして伝える術に長けてくる。はじめのうちは「これはえらいところへ来てしもた」と思ったが、慣れてしまえばなんでもない。二十歳代の脳の記憶容量は無限で、体力にも膨大な余力のあることが判る。試さぬうちから無理だのダメだのとあきらめてはいけない。やる気になれば出来るのだ。

ニッポンの病院でも、研修医たちをこの方法で教育すると、多数の患者に同時に素早く的確に対応する技術を習得させることが出来るだろう。だが実際に行動に移すとなると、まず指導医が研修医の報告を聞いて状況を即座に判定し対策を立てる能力を養わねばならぬ。それに加えて院内の他の部門のスタッフが属する労働組合との約束や公務員規定などに阻まれて、米国の研修医のように、早朝午前6時から勤務開始というわけにいかないのが残念だ。

ニッポン語1語につき罰金10セント

米国海軍病院内の会話は、勿論、すべて英語で交わされる。ニッポン人インターンにとってこれが一番辛い。慣れない異国語を使って患者を診察し、上司に報告し、カルテを記入し、講義を聴く、そのもどかしさは忍耐の限界を超える。爆発しそうな感情を抑えながらでは、研修でも仕事でも達成感がない。英語が自在に話せるようにならないことには、欲求不満は解消しないのだ。

眼科医長のインターン教育委員長は、インターン同士がニッポン語で会話するかぎり英会話能力は向上しないのに注目し、インターンに対し院内でのニッポン語の使用禁止令を発令した。「スタッフ医師あるいはナースは、ニッポン語で会話しているインターンを見つけた場合、双方のインターンからニッポン語一語につき10セントの罰金を取り立てること」というお触れを出した。10セントと言って馬鹿にしてはいけない。当時は院内食堂のランチが25セント、将校クラブで飲むドリンクが10セント、ネービーエクスチェンジで買うタバコが1カートン1ドルだから、1パック10セントだった。この罰金制度はインターンの英語力向上に抜群の効果を発揮した。半年もすると、基地の映画館で上映している字幕なしのハリウッド映画を見てゲーリークーパーやマリリン・モンローのセリフがほぼ判るほどに英語は上達した。

回診は記憶力のテスト

内科では朝7時からスタッフの総回診。内科インターンは6時から一人で回診を済ませ、一緒に回るスタッフ医師に一人一人の患者の昨夜からの経過を口頭でつぶさに報告する。この際、勿論、カルテやメモなどを見てはならない。全ての入院患者の前日からの検査伝票すべてに眼をとおすと100枚を下らない。記憶すべき数値は数百に上る。記憶力をテストされているようなものだが、これがきちんと出来ないと、回診が済んでからオフイスに呼ばれて説教を喰らう。何のこれしき負けてなるものかと記憶の底力を振り絞れば、数字ごときは幾らでも丸暗記できる。今の研修医は自分の頭脳に代わってコンパクトなコンピュータに数値を覚えさせ、メモがわりに使いながら回診する。いつの時代からこんな手抜きが許されるようになったのだろう。コンピュータの画面が消えると全ては忘却の彼方。頭の中には何も残らない。これでは勉強にならない。

彼女に噛まれたオトコのしるし

ヨコスカを母港とする第7艦隊の乗組員は市内にアパートを借りてオンリーと呼ばれる彼女を囲っている者が多かった。当時は1ドルが360円。アメリカ経済の最良の時代だったから水兵でもこんなことが可能だったのだ。或る日、水兵がアパートで彼女と69でラブメイキングの最中、興奮の絶頂に達した彼女にオトコのシルシをガブリと噛まれて出血が止まらなくなり、基地から出動した救急車で救急外来に運ばれてきた。診ると白いユニフォームのベルボトムのパンツが真っ赤に染まるほどの大出血である。まだ動脈性出血を続けているペニスを弾力包帯でぐるぐる巻きにして一時的な止血には成功したが傷には縫合が要る。なにしろペニスの人噛創を診たのは生まれて始めてのこと。いざ縫合をする段になって「海綿体に麻酔薬を注入すると静脈注射と同じことだから心停止する危険が大きいのではないか」インターンの一人が知ったかぶりの意見を述べる。鳩首協議の結果、表層のみの局所麻酔なら安全だろうと意見がまとまり処置にかかった。

水兵はペニスに針が刺さると痛さに耐え兼ねビクンビクンと飛び上がる。まるで巨大なサカナの活け造りのようで可哀想だったが無事に処置を終えた。1週間もすると傷はすっかり治りオトコのしるしは元通り役立つようになったそうだ。

移り香は洗濯機のなかで

意に反して残酷な話題に発展してしまったが、基地の暮らしにはソフトなエピソードも多い。インターンは汚れたシャツやパンツを自室に脱ぎ捨てておくと、メイドが回収して洗濯室にとどけてくれる。洗濯が仕上がると部屋まで配達してくれる。きちんとメイクしたベッドの上にたたまれている洗濯済みの下着やシャツをみると気持ちが和む。ある日洗濯室から戻ってきた下着にほんのり香水の香がただようのに気づいた。その後も何度か匂ってみると甘い香りがする。不審におもっているうち思いがけない出来事でそのナゾが解けた。

夜勤の翌朝自室に戻る時間がないので洗濯室に立ち寄り着ていた下着を洗濯済みのものと着替えることにした。洗濯室はナースのBOQ(独身将校宿舎)の一角にある。オンナの城だからオトコはみだりに入ってはいけないのだが、洗濯室だけは治外法権だった。部屋の片隅で着替えていると突然ドアが開き「アーッ」という女性の声。みると素っ裸のパッツィが両手で胸を隠して突っ立っている。胸から下はスッポンポン。こちらも素っ裸。目前にある逆三角形の栗毛パッチに目を奪われ不覚にも「ワォー」と叫んでいた。まさかオンナの城の一角に裸のオトコがいるとは思いもしなかったパッツィは、自室で汚れた下着を脱ぎ捨て、素っ裸のまま洗濯済みの下着を着るため洗濯室にやってきたのだ。

ばつの悪い一瞬が過ぎ再び目と目が合うと「ワッ」と声をあわせて大笑い。これが縁でパッツィちゃんとは裸の付き合いをするようになった。この一件によって、洗濯室のおばさんたちはインターンとナースの下着を同じ洗濯機で洗っていたことが判った。洗濯したての下着からほんのりただよう甘い香りは、洗濯機のなかでレースの下着とインターンの猿股がくんずほぐれつするうちに、交じり合った移り香だったのだ。それにしても米国海軍のナースたちは香水を浴びるがごとく消費する。それもフェロモン分泌促進剤となるタイガーマスクなどの動物系のものを好む。香水を振りまくウラにはよほどの欲求不満があるとみたが確かめるすべがない。したがって真相は今もって不明のままだ。

(2009年2月1日 イーストウエストジャーナル紙)