「ケン、ニッポンでは家族や友人同士でもファーストネームで呼ばないそうだね。そこで尋ねるのだが、わたしがZ教授を“アキラ”とファーストネームで呼んだら、彼は不快に思うだろうか?」数年前国際学会のロビーで会った米国人外科医Sの質問だ。Zは日本の某大学医学部教授。ZとSは数10年来の友人同士だ。だのに互いを「プロフェッサーZ」、「ドクターS」と堅苦しく呼び合っている。Sはこれを「アキラ」「ジョン」に変えたいのだが、Zの反応を計りかねて助言を求めてきたというワケだ。
「不快に思う理由はないよ」「アキラと呼んだら、Zはわたしをジョンと呼んでくれるだろうか?」「さあ、試してみたら」で会話は途切れた。
後日Zにこのいきさつを話すと「アキラ」と呼ばれるのに抵抗はないが、Sを「ジョン」と素直には呼べないという。「われわれ戦中世代の人間は、米国人の名前を呼び捨てるのには、えも知れぬ抵抗があるのだ。たぶん進駐軍に対するコンプレックスが残っているからだろう」
進駐軍といえば、アイオワ大学の教壇に立つたび、医学生の顔が50年前の進駐してきた兵士とダブって、この連中をわたしが鞭打っていいのかと秘かなためらいを感じた。終戦にひき続いて小中学時代を送った私にも、進駐軍コンプレックスがどこかに潜んでいるようだ。
アメリカンは、家族はもちろん、上下司や師弟間でもファーストネームで呼び合う。30数年前、小児外科研修医としてF教授に師事した。研修期間中には恩師FをドクターFと呼んだが、研修終了と同時に、Fの要望によって、ファーストネームで呼ぶようになった。後年コウベを訪れたFを「ハーブ」と呼ぶのを耳にした先輩外科医から「師匠をファーストネームで呼ぶとは何事や。不遜な態度を改めよ」と意見された。因みに先輩はZと同じ年代だった。
(出典: デイリースポーツ)