北海道の米が旨くなったワケ

仙台から小樽そしてサッポロと移動し、いま広大な北大のキャンパスを一望に見下ろすホテルの部屋でこの稿を書いている。たおやかな地形、山のない広々した空間、豊かな緑の中に散在する学舎を目にすると、教鞭をとったアイオワ大学キャンパスが想い出される。

知人のW氏宅に招かれキッチンでゆがきたての毛ガニをご馳走になる。添え物は緑と白2種類のアスパラガス、男爵にニシン。北海道は海も陸も幸多くて嬉しい。夫人がわざわざ「北海道でとれたお米ですよ」と断ってよそおってくれたご飯が旨い。6年前にサッポロで食べたご飯は、ポソポソの食感で不味かった。それと比べると格段の味がする。「何か格別なワケでも?」「気候ですよ。ここ数年、温暖化で北海道の夏は本州並みに暑くなったでしょ。お蔭といってはナンですが、獲れる米が旨くなりました。稲には田植えの頃は冷たく実りの前は暑いという寒暖の差が大事なのです。本州の気候は寒暖差の小さい台湾に近づいています。それが昂じてタイの気候になると、ご飯もタイ米の味になりますよ」W氏は不気味な予言をする。「気候に敏感なサクランボを作っている山形の農家は、その日に備えて早くも北海道の農地を買い始めました。アスパラ、ジャガイモとならんで、サクランボが北海道名物になるのもそう遠くないでしょう」温暖化が米やサクランボを北に向かって動かしているとはつゆ知らなかった。

翌日は千歳に近い札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースでラウンド。サッポロが20度を越す陽気だったが、わずか30キロ離れた輪厚は10度前後。「海から吹く冷たい霧風のせいです。暖かくしてくださいよ」とW氏が貸してくれたセーターを着ても震えが止まらない。これまた初めての体験だった。北海道にはまだまだ新知見や初体験が潜んでいるようだ。

(出典: デイリースポーツ 2008年5月29日)

後期高齢者医療保険

「新しい医療保険の掛け金を年金から差し引かれたり、払わなんだら保険証を取り上げるぞと言うて脅されたり、年寄りは踏んだり蹴ったりでんな」久しぶりに会った大阪のオッチャンがぼやく。

「センセ、アメリカでも年寄りはこんな目に遭うてまんのか?」
「米国で本人の承諾なしに収入からカネを差し引くのは権利の侵害で憲法違反と言われています」
「今度の保険は年寄りが医者に掛かり過ぎるのを抑えるためや言うてますが、病気になったら医者に行くのは当り前でしょ」
「ニッポン人は年に平均16回医者に掛かかります。これを米英独仏の年6回と比較すると飛び抜けて世界一です。受診率が高いのはニッポンに病人が多いからではありません。皆保険制度のお蔭だといわれていますが、それとは別のワケがあります」
「そのワケは?」

「医者が患者を診たがるからです」「どうして?」
「ニッポンの診察料は初診が2千6百円、再診が6百円ほどです。これをアメリカの初診1万円、再診5千円と比べるとあまりに安い」「そうでんな」
「これほど安いと、医者は患者を数で診ないと赤字になります。だから患者に『明日も明後日も来なさい』と言ってしまう。その結果医者は1日何十人もの患者を診て慢性過労、患者は3分診療で不満爆発、政府は膨張する医療費を年寄りの年金から取り立てるという悪循環です」「解決策は?」

「今の診療スタイルを総点検し、頻回に診る必要のない患者は間隔を空けて診る、患者数が減って減収になった分だけ再診料を値上げする。この方式に転化すると医師不足の解決にもつながります」「?」「この2ヶ月間、テレビのワイドショーなどの番組に、医者が出演して意見を述べるのは一度も見かけませんでした。医療の実行者である医師は、高齢者医療費や医師不足の解決策を提案するべきです」「センセが出はったらどないです」「?」

(出典: デイリースポーツ 2008年5月22日)

生死の判断は難しい

5月10日付けの新聞は、入院中の末期ガン患者の人工呼吸器を外した某市民病院の外科部長に対し、捜査当局は患者の死を招くと認識しながらの行為に殺意があったと判断し、殺人容疑で書類送検する方針だと報じた。

従来人の死は自然に呼吸が停まり心拍動が停止した時点が臨終とされてきた。ところが生命維持装置の開発導入によって臨終の様相は一変した。装置が呼吸や心拍を再起動させると意識も戻る。意識が戻れば痛みの感覚や恐怖も心に宿る。回復の見込みのない人生の終焉を装置で無理やり延長され、余計な苦痛を強制されるのは、当の本人にとってさぞ辛かろう。装置さえなければ恐怖や痛みに耐えることもなく静かに逝けるのに。いや、恐怖心や痛みも命あればこそ、1分1秒でも永く生きていたいのが人間だ。装置を止めるのはもってのほか。白黒つけるのは世論でも法でもない。哲学の命題に結論が出ない間にも、診療現場は決断を迫られる。

米国大学病院で現役小児外科医だった当時の判断と選択の経験を紹介しよう。重症小児患者の装置を外す決断は親権者に委ねる。ケアに携わる医師団が、患児は絶対に救命不可能と判断すると、患者家族と支援者、ナースや技師を含めた医療チーム全員でオープン集会を何度も開く。患児の呼吸、循環、腎臓の管理を担当してきたそれぞれの専門医が、各臓器機能の現状を砕いた言葉で家族に説明する。迷った家族が他院にセカンドオピニオンを求める場合には資料を提供し協力する。納得した親が同意書に署名すると、鎮痛剤投与の点滴ルートを残して全装置を取り外す。まもなく患児は安らかに逝く。

米国の入院患者は複数科の医師チームで診療する。判断に密室性がないので法廷もその判断を尊重する。冒頭に述べた外科部長の市民病院もチーム診療を導入していればよかったのにと思う。

患児が逝ったあともケアはまだ終らない。決断した親はあれでよかったかと悩み続ける。1週、3週、2月の間隔で電話をかけ、落ち込んだ親を励ますのも小児外科医の仕事である。

(出典: デイリースポーツ 2008年5月15日)

職人気質はいま何処?

九州の無名牛のビーフをブランドの但馬牛と偽り高値で販売していた大阪の老舗料亭の醜聞も時とともに下火となり、店は幹部の入れ替えで営業再開。こんな禊の真似事で顧客にニセモノを売っていた騙しが許されるなら「“老舗”とは一体何だ?」という疑問は残ったままだった。

醜聞を起こしたのは一族が営む老舗料亭の一分家(?)である。いささか過激だが一族はこの分家を醜聞発覚の時点で取り潰すべきだった。取り潰しによって残りの店は暖簾を護る立場を明確に出来る。残りの店のみならず老舗料亭業界の信用を重んずるなら、信を傷つけたものを切るのは当然だろう。が、そうしなかった。なにか不都合があったのだろう。

今回営業を再開した店で再び新しい醜聞が発覚した。テレビの報道によると、客の食べ残した残飯の中から手の付いた形跡の見当たらぬ刺身や鮎の塩焼きを漁って器に盛りつけ、別の客に料理として出していたという。実行していた当の板長がインタビューに答え「上からの圧力に負けて、絶対にやったらいかんことをやってしまいました。今後は絶対にいたしませんから、また店にきてください」と言うのを聞いて唖然とした。子どもの言い訳にもならぬ。

料亭の板長といえば職人の鑑。厳しい潔癖性で自分を律するのが看板ではなかったか。理不尽な圧力と対峙してこそ板場を預かる親方だ。なんでも「ま、ええやないか」で済ませる風潮に満ちている今のニッポンには、もう職人気質というものは存在しないのか。元職人外科医としては慨嘆するしかない。

「出した料理はなんぼ手付かずでも引いたら残飯ですわ。残飯から漁ったものをまた皿に盛って出すやなんて、そんな騙しはうちらの食堂では絶対にしまへん」南方食堂の店長は断言する。職人店長、よくぞ言ってくれた。ありがとう。

(出典: デイリースポーツ 2008年5月8日)

形式だけの儀式

4月の朝。大阪の仮の宿。冷たい空気は寝床から露出した肌に心地よい。常夏ハワイの我が家では味合えぬこの快感が1分1秒でも永く続くようにと願いながら、夢とうつつの間を往来する。「春眠暁を覚えず」で始まる漢詩の一節のような毎朝だ。

寝ぼけ眼でテレビをつける。画面から突如飛び出す異様なシーンに驚き跳ね起きる。風にたなびく無数の赤旗。その隙間からハイトーン、ハイピッチで理解不能言語の怒号が湧き起こる。これがニッポンの長野で進行中の出来事とは信じ難い。

幾重もの制服姿の人垣に囲まれたネコの額ほどのスペースの中を、元阪神タイガース星野監督の走る姿が映し出される。監督の表情には、いつもコマーシャルで見る、こぼれるようなスマイルはない。固い表情には、負け試合のあとのような気落ちがこもっていた。  

監督には、堂々と胸を張り右手の聖火を天高く掲げ、観衆の声援に笑顔で応えて欲しかったが、沿道には日の丸の旗をもったニッポン人の観衆が殆ど見当たらぬ。いるのは赤旗を掲げる彼の国の人ばかり。こんな状況の中で警備の人垣の中を走るランナーに感動や誇りを期待する方が無理。その姿はまるで赤旗の国の囚われ人のように見えた。

それでも聖火は長野市内のコースを走り終え、新幹線で東京に移動し、翌日成田からソウルに向けて飛びたった。無事を見届けた政府代表は、彼の国への義理を果たせて安堵したことだろう。警備責任者は、ババ抜きのババを隣に渡したような気分を味会ったことと思う。そしてテレビの前のニッポン人は、長時間の田舎芝居によく耐えた。将来よりも過去、意義の有無より独善の形式にこだわる彼の国権力者の思惑に対し、形式だけの儀式を儀式として粛々と運んだ今回のニッポンは立派だった。世界の眼はそれをしかと見届けたに違いない。

(出典: デイリースポーツ 2008年5月1日)