小泉さん、夢をありがとう

5年半まえ、ニッポン各地の街角に停めた街宣車の屋根に立ち「自民党をぶっ潰す」と長髪の頭を振り立て絶叫する一風変わった男性がいた。この男性がニッポンの総理大臣になって、50年続いた自民党政治を根底から覆してくれるとは、当時のだれにも想定外だった。

人が集まれば群れを成すのが当り前のニッポンだから、以前の政治家は当然のように派閥に属し、有権者の目の届かぬ密室で物事を決めた。その際には自身と自派の都合を最優先とし、国の大事は二の次というのが大方の観測だった。これが半世紀も続くと「都に往ってくれるスミス氏」の出現を願う市民の夢は諦めムードで固定化する。

そこに「構造改革!郵政民営化!」を叫びながら、颯爽とカッコよく躍り出てきたのが小泉さんだ。長老が耳に囁く自重路線に振り向きもせず、派閥の脅しもなんのその。自分の打ち立てた理念に向かい、総理が本来持つ統治手段を駆使して国の大事に立ち向かうスタンスを取ったのだから、人気の湧かぬ筈がない。

過去50年間の総理大臣と小泉さんの違いはどこにあるか検証してみると、私利私欲の匂いがしないのが一番の特徴だ。理念を徹底して貫く人ゆえ、内外の抵抗に逆らって靖国神社参拝を続けた。最大の政治理念とする郵政民営化を実現するためには、衆院解散という前例のない手段に打ってでた。抵抗勢力に「刺客」を差し向けるという非情な策をも実行した。

ニッポンは、理念や原理原則で動く社会ではない。理念よりも方法、手段、手順、都合が重んじられる国である。だから手段や手順を誤ると昔なら自刃、今なら辞任という象徴的な責任を取らされた。

小泉さんが、今だに50%の支持率を維持するのは、理念を貫く姿勢が市民に大いに受けているからだ。今後、総理となる人は、このスタンスを外すと短命に終わるだろう。

(出典: デイリースポーツ)

ガンは告知、治療の選択は患者まかせでいいのか?

ガンを告知が常識になって20年になる。以前、医者は患者に不治の真実を告げるに偲びず、胃ガンだと胃潰瘍、肺ガンには肺炎などと偽の病名を告げていた。やがて病気の進行悪化に気づいた病人に糾されても、頑としてウソを突き通して善しとした。あるとき僧侶のガン患者から、仏門にある身だから真実を告げられても大丈夫と迫られガンと告げたところ、大層取り乱し「願ったとはいえ、最後までウソを突き通して欲しかった」と悲痛な一言を残して逝かれた。

ガンの告知はアメリカではじまった。肺ガンの患者を肺炎と偽って治療していた患者が、肺炎にしては多額すぎる治療費の請求を不審におもい真実をつきとめて、誤診と詐欺の両方で医者と病院を告訴し、莫大な賠償金をとるのに成功したのが始まりだ。医者は、善意の不告知を裁判所が認めないのなら、診療のすべてをあるがまま患者に知らせ、治療方法も本人の選択に任せると決めた。以来、患者は病状を「知らずにいる権利」と「治療を医師に任す権利」を失った。

友人のYさんは事業家の尊父から10社を超えるビジネスを受け継ぎ、40歳になるかならぬかで、麻酔科医からグループの総師に転じた。身内の一人が或る日胃ガンと診断され、主治医は内視鏡でガンの部分だけ切除するか手術で胃切除するか、今風に判断を患者に丸投げしてきた。困惑した身内から判断を求められたYさん、両方の治療方法を詳しく解説したが、選択は本人にまかせた。側で聴いていた尊父に、「ペテンのような説明をするな。お前も医者なら代わりに決断をしてやれ」と叱られたという。

二人の議論は、選択を患者に委ねる時代に育ったドクターYと、医者は患者にかわって決断するのが当然という尊父との想いの違いだから平行線だ。どちらかと問われると、わたしはYさんの尊父に組する。

(出典: デイリースポーツ)

2001年9月11日

5年前の9月11日朝、テロリストに乗っ取られた2機の旅客機がニューヨークのワールドトレードセンターに突入自爆した丁度そのとき、わたしは家人とともに遅い朝食をとるべく、アイオワシティでいつものレストランにむかっていた。突然、ラジオの音楽が中断し、ツインタワーの一本に飛行機が衝突したと報じた。「高さ400メートルもあれば、セスナやヘリが衝突しても不思議ではないわね」「昔、霧の夜エンパイアーステートビルに爆撃機が衝突したが、建物はびくともしなかったそうだ」という会話を交わしながら、レストランに到着した。

朝食を終えてクルマにもどると、ラジオのアナウンサーが「大型旅客機が突入したビルは火災を起こして崩壊寸前です。これは国家の非常事態です」と興奮している。急いで我が家に戻り、テレビでツインタワーが崩れ落ちるシーンを目にして愕然とした。

消滅したツインタワーの最上階にはウインドウツーザワールド(世界への窓)というレストランがあり、食事中、ライトアップされた雲がテーブルの足元を流れるのが印象的だった。そのレストランでランチの準備をしていたスタッフは、他の3千人とともに一瞬にして生命を失った。

3日のちの9月14日、わたしは38年間の外科医人生の最後を飾る手術を無事にすませ引退した。アイオワ大学病院に勤務した14年間に、アメリカの将来を担う4千人のこども達の生死に関わる手術を行った。助けた4千の幼い生命を、ツインタワーで一瞬にして失われた3千人と対比すると、14年間の仕事は空しい。

いま世界は憎悪に発した暴力とその報復のスパイラルに陥っている。数々の疾病を克服し、手術の技を開発してきた人間の能力は素晴らしい。だが同時に、救った生命を殲滅する手段の開発実施にも励んでいる。これは実に愚かなことではないのか。

(出典: デイリースポーツ)

情や都合で動くニッポン

久しぶりにニッポンの病院で、教育回診に招かれた。今年医学部を卒業したという女性研修医が、まだ新しい聴診器を耳にかけて患者の胸を聴診する。その姿を見ると、40数年前に、初めて患者の体に触れて緊張した頃を思い出す。

感傷から覚めてふと気づくと、研修医は患者の着衣の上から胸に聴診器を当てている。

病室の外に出て「いま聴診器で何を聞くつもりだったの?」と尋ねると、「呼吸音です」と答える。「寝間着の上からだと摩擦音がしてよく聞こえないだろう?」「はい」「それなら、どうして寝間着を脱いでもらわないの?」「患者さんの中には裸を嫌がる人もいるのです」「そこを説得するのがプロの医者だ。患者さんを診るフリをするのは欺瞞だよ」「でも、患者さんは一応満足していますから」「シロウトの患者さんにへつらってどうするの。キミは病気を治すプロの医者になるんだろ」

次の部屋では腹部触診をするのを見たが、まるで餅をこね回すような手つきで患者の腹をなでまわす。何を触れ何を探索しようとしているのか、背後にある思考が理解できない。隣の患者の膝蓋腱反射を調べてみろと指導医に命じられたこの女医さん、右手を握って拳骨をつくり、それで膝蓋腱をヒットした。腱反射を調べる道具がなければ、行ってとってくるのが段取りというものだ。

あまりの非常識に、側に立つている研修指導医にワケを糾してみると、「今の若い子はきつく指導するとむくれたり、すねたりするので困るのです」だと。「そんな稚拙な未熟人間を医者に仕立てて、一体どうすんだ!」と口から飛び出しかけた。

アイオワ大学病院にこんな研修医や指導医がいたら両者とも即日解雇だ。指導医は研修医を育てるのと同時に、ダメ医者を社会から排除する義務を持つ。それが医師育成の原理原則。都合や情で動いてはいけない。

(出典: デイリースポーツ)