患者を診察しない医者

ホノルル郊外にある我が家近くには各科そろえたクリニックがある。半年に一度、高血圧と痛風を内科専門医のドクターAに診てもらうようになって8年になる。訪れる度、全身を裸にして頭の先からつま先まで裏も表もしっかり診察してくれる。一度の診察に要する時間は15分。診察しながら前回からの経過をつぶさに尋ね、丁寧に診察し終わると病状の説明をする。

アメリカ各地のクリニックはすべて予約制。1時間に4人のペースで午前と午後4時間ずつ診療するとして内科医は1日32人の患者を診る。診察料は日本円に直して約1万5千円。患者は老人健康保健や各自加入している健康保険がカバーした残りの差額を自己負担する。

突然の急病患者を受け付けると予約の秩序が乱れるから急患は一切受け付けない。クリニックにかかりつけの患者でも急病の場合には市内同系列の総合病院救急医療センターを訪れるよう指示を受ける。クリニックと救急医療センターはセキュリティの高いネットで結ばれているので、救急専門医にとって初めての患者でも経過は即座に判る仕組みだ。

「最近ニッポンでは患者を裸にして診察する医者が少なくなりましたな。患者を診ずにハナシだけちょっと聴いて『あ、そう、薬出しとくから1週間したらまたおいで。はい、次の方』ですわ。病名も予後も説明はなし。ニッポンでも、待たされずしかも丁寧に診てくれるのやったら予約制にしてくれたら差額ぐらい払いまっせという御仁は大勢いてますやろ。アメリカの予約制診療というのはニッポンでは実現しまへんのか」
元会社役員の熟年紳士と会食中の会話だ。
「健康保険がカバーする額に本人が差額を上乗せする医療費支払い方式を『混合診療』と呼んでいますが、これが日本では許可されていないのです。だからニッポンのお金持ちは、裸にして丁寧に診てくれる医者を求めてわざわざアメリカに来られます」
「そんなアホな。この不便、どうにかなりまへんのか」

新型インフルラプソディ

新型インフルでニッポンは狂乱と化した。

水際作戦は新型インフル罹患者を国際線の機内で発見し周辺座席の乗客とともに空港近くの病院やホテルに強制隔離するという手順だ。ニッポンにこれほどの強権を許す法律があったのかと感心すると同時に、機内で罹患者とコンタクトした客室乗務員の隔離は不要なのかという疑問が湧く。この水際作戦では現地出発直前に罹患者と接触した人を発見隔離出来るのだろうか?あれこれ考えると疑問だらけだ。水際作戦では新型インフルの浸透を防げないぞと悲観していた。

数日まえに兵庫県と大阪府で渡航歴のない高校生に新型インフル罹患者が見つかり悲観は現実となった。関西一円の学校は1週間の休校。「不要な外出を控えろ」という政府の呼びかけにデパートや商店街は来店客の大半を失った。阪神間を結ぶ交通機関にも空席が目立つ。経済活動は大きくダウンしたままだ。

恒例の神戸まつりはキャンセルされ数十億円の損失を生んだ。修学旅行の旅立ちに新大阪駅に集結した学童たちは、乗車直前に旅行の取消しを宣言され嘆きの悲鳴をあげた。「外出には必ずマスクを」というお上のおふれがでると薬局やドラッグストアのマスクはたちまち売り切れた。

「センセ、アメリカでもこんな騒ぎになってまんのか?」
大阪のオッチャンが真顔で問いかける。
「答えはノーです。こんな事態にアメリカでは専門家集団である医師会が対策を発表し国民はその指示に従います。水際作戦には限界がありマスクの感染予防効果は明確でないと知っている米国の医師たちは、むしろ罹患発病者の治療を優先する立場をとります」
「へえー!それやったら、なんでニッポンの当局は予防に力を注ぎまんねん?」
「ニッポンでは、新型インフル国内浸透のような事態には医師会ではなく役所が対処します。役所の仕事に『手落ち』があると一大事です。『手落ち』防止のためには、水際作戦やマスク奨励の効果の有無を検討するよりも『手を尽くした』という事実の方が大事なのです」

続こどもの王国

風薫る5月の連休は日ごろ汗水たらして働く人たちが心待ちにする休日。“サンデー毎日”の日々を無為に過ごしている引退外科医などはこの黄金週間に出歩く資格なしと自らを戒め、家にこもってもっぱらテレビを見て過ごした。番組の合間を繋ぐ無数のコマーシャルも全コマ逃さず見ていると各社共通の特徴があるのに気づく。

コマーシャルになると画面が一転ショッキングピンクやイタリアンブルーのパステルカラーに変わる。こどもに関係のない商品や業種でも無理やり子役を立てて使う場面が多い。「はてな?」と戸惑っているといい年をしたオトナ数人が造り笑顔の前で両手にVサイン。サウンドのリズムにあわせてスキップしながら全身を左右に揺する姿は幼稚園のお遊戯。漫画キャラの縫いぐるみもやたら目につく。

ニッポンのテレビコマーシャルは商品の性能紹介よりもこども中心に動く家庭むけのイメージの伝達が主体のようだ。だからナレーションは総じてトーンの高いアニメ言葉になる。「○○は便利、簡単、おトクでチュョ」と稚語フレーズを聞かされると、幼稚園時代に引き戻されたようで怖い。一方アメリカのテレビコマーシャルは商品紹介が主体。製品の持つ長所をオトナの言葉で明確に伝える正攻法が特徴だ。

連休が明けると補正予算の国会中継。不況粉砕のためにみんなが期待した14兆円もふたを開けてみると役所に半分掴み取られて実効の有無は不明。なにもかも不明だらけだが何とかなるのがニッポンの強みだと楽観したところで、このコラムは紙面の都合でしばらくお休み。

回数にすると220回、4年半にわたって続けて来られたのは、ユニークさで他社の追従をゆるさぬデーリー名物「元気」欄に惚れたからの一言につきる。コラムは新聞からブログに乗り換えて今後も続ける予定です。引き続きご笑読ください。

(出典: デイリースポーツ 2009年5月14日 最終回)

こどもの王国

真夜中人気のない公園で裸になった泥酔男を捕まえてみると、国家事業のパブリシティを担当するほどの人気タレントだった。通常なら説諭放免の微罪だが、逮捕拘留送検し家宅捜査まで行った。起訴猶予処分と決まったあと、国のパブリシティは勿論テレビ、舞台、コマーシャルのすべてを降ろされ、孤立無援のままテレビの前で熾烈な質問地獄に晒された。この事件は当局がその気になればその辺で立小便をしたあなたでも逮捕拘留送検される可能性を示した。

契約社会のアメリカでは破廉恥行為などにより事業のイメージが傷ついた場合、関係者は相当の賠償額を支払うという一文が契約に含まれている。タレントの飲酒癖を知りながら単独で放置し泥酔させたのは事務所もその責を負うという論法だ。事態に備えて事務所は多額の保険に加入し、記者会見にはプロの渉外係を立ててタレントを徹底的にかばう。タレントは将来にわたって事務所に高額の収入をもたらす大事な宝物だ。

この事件と相前後して独特の毒舌による辛口批判で売り出した50男のタレントが、ご法度の琴線に触れたがゆえ全テレビ局から干された。会見の席で収入の道が絶たれ家族が路頭に迷うという泣き言を涙ながらに訴える姿には、辛口で売ってきた勇姿の影すら見えぬ。男はこんな姿を自分の家族にも世間にも晒してはいけない。「干すなら干してみろ。オレはしたたかに生きてみせるぜ」と言ってのけるのが大人の男というものだ。

メディアという巨大な虚構は、群れから外れたものを容赦なくいじめ倒す。取り巻きはやんやの喝采。なにやら子どもの王国に迷い込んだ錯覚を覚える。呑み込まれる前に早くハワイへ帰ろ。

(出典: デイリースポーツ 2009年5月7日)