謝罪

「テレビの謝罪場面を見るのも毎日になると、エエ加減にせえよという気持ちになりますな。会社や役所のエライさんが、頭下げて最敬礼するところをテレビで全国に放映されたらプライドも何もおまへん。頭下げながらハラのなかは屈辱感で煮えくり返ってまっしゃろな」

ここふた月ほどの間に相撲、ボクシング、地鶏屋、餡子菓子屋、防衛省、厚生労働省、老舗料亭、明太子屋などを仕切ってきた御仁たちが相次いでこの屈辱を味合う場面をテレビで見てきた。大阪のオッチャンは、言葉は柔らかいがなかなか鋭い意見を吐く。

「なかには謝罪の内容も曖昧で一体誰にむかって何を詫びとるのか皆目判らんというのもありますな。とりあえずは世間に向かって謝罪芝居しとけばそのうち忘れてくれるやろというのが本音でっしゃろな。前からセンセに尋ねてみたいと思うてましたんやが、アメリカでも悪い奴はテレビで世間に詫びたりするんでっか?」

「答えはノーです。第一にアメリカには世間がありません。世間という曖昧な存在はニッポン独特のものなのです。第二に当事者が安易に謝罪したらあとの裁判で負けてしまいますから絶対にしません」「ほたら謝罪の替わりは何でっか?」「賠償です。言葉や態度より実を獲るのです。例えば中身がラベルと違う商品を買わされた場合、代金を返してもらうのは当然でしょう。結成された弁護士団がテレビや新聞で消費者にレシートを送るようにと呼びかけ、集めた何百枚もの束を持って業者と賠償の交渉に入るのが常です。ニッポン人は謝罪会見で当事者が頭を垂れる姿を見ると胸がスッとして水に流しますが、アメリカ人は騙した奴には執念深いのです。曲がりなりにも正義の支配で成り立つのがアメリカ社会ですから」

「ニッポン人も悪い奴らからはしっかり獲るものを獲って、もっと懲らしめなあきまへんな」

(出典: デイリースポーツ)

どこそこ産のナニナニ

「えらいこってっせ。センセがこの間行きはった料亭が検察のガサ入れを受けてまっせ。今すぐテレビつけてみなはれ」「ガサ入れなどという業界用語は使わないでください。そのスジの方と間違われますよ。わたしが行ったのは同じ料亭でも別の店です」

久しぶりに聴くオッチャンの大阪弁の電話を受けてテレビをつけてみる。日本有数の老舗料亭が鹿児島産の牛肉を使った味噌漬を但馬牛と偽って売ったといって大騒ぎ。表がきと違う商品で顧客を騙したのだからまさに羊頭狗肉、立派な詐欺だ。偽装がバレそうになると店主は「わたしが勝手に偽装行為をしました」と書いた書面を用意して従業員に署名を迫ったという。従業員が何のために偽装を?子どもじみたトリックがホントウなら卑劣極まりない責任逃れだ。

「まさかこの老舗料亭がニセモノを売るなんて、もう何も信じられません。淋しいです」
インタビューに答える初老の男性の言葉には哀愁がこもっている。

再生商品を売っていた餡子菓子屋、廃鶏を地鶏と偽っていた鳥肉屋に続いて今度の偽装牛肉の料亭。いずれも創業以来暖簾にかけた信用一筋で顧客をつかんできた老舗である。テレビで見た「すべては従業員の仕業や。ワシは知らん」と言い逃れるオーナーに、正統派カスぼんの姿をみた。

想いを太平洋の彼方に振って見ると、アメリカ人は食べ物に「どこそこ産のナニナニ」という価値観をもたない。食品に賞味期限などという曖昧な規制もない。あるのは何月何日までに売りつくせという販売期限だけ。消費者は食べてみて旨ければそれでよしという価値観だ。買ったモノの食べごろぐらいオトナなら自分で判るやろと突き放す。ここ一連の食べ物偽装は、ニッポン人の「どこそこ産のナニナニ」というブランド好みと賞味期限がある限り、何度でも再発するだろう。

(出典: デイリースポーツ)

「民主」主義

与党党首であり国の将来を担う総理大臣と最大野党の党首の間の会談は不首尾に終わり、国の命運にかかわる重要な問題には何一つ解決の糸口は見つからない。
この1週間テレビや新聞で今回の党首会談にまつわる多種多様の見解や主張を見聞した。だが会談が不首尾に終わったのは、党名に「民主」主義の名を掲げる野党の役員会がその大原則に反したからだとは誰も言わなかった。

民主主義の発祥の地である米国に永年住んでいると、それゆえに生ずる煩雑な手続きに対する我慢や、自らの想いと違う指導者に従う忍耐を強いられるという事態に遭遇する。

いま米国民の大多数はブッシュ大統領のイラク政策に反対である。タイガースファンのごとく熱狂的な共和党の支持者であった友人も、ホワイトハウスの政策を悪しざまに口にだして批判する。
「そんなに嫌なら大統領のリコール運動でも起こしたら?」
と冷やかしてみる。
「リーダーを無能ゆえ辞めさせることは、選んだ自分達が無能の証拠だから出来ない」
「それなら文句いっても無駄じゃないの?」
「行き場のない辛さだ。せめて文句ぐらい言わせろよ」と苦渋の本音を吐く。悲痛な叫びのウラには今度の党首会談で野党に欠けると断じた民主主義の大原則が隠れている。

大統領も党首も選挙のまえは単なる候補者だ。だが一旦選ばれたら全権を託されたリーダーになる。選んだ集団に属するものはリーダーの決断に従い運命を共にするのが民主主義の大原則だ。それが嫌なら別の集団に移ればよい。

野党の役員会は「今、国家は大事な分かれ目にあり党利党略のときではない。党首の決断だからこの際大連合立に賭けようではないか」と提案するオトコを欠いた。だから党首をして「わが党は政権を担うにはいまだ未熟である」と言わしめたのだろう。

(出典: デイリースポーツ)